2008年9月13日

  夏休みを北京で過ごした後、親戚や友人達と別れの挨拶をして、僕は日本に帰る飛行機に乗り込んだ。飛行機が離陸してまもなく、隣りの席に日本人らしいお爺さんが座っているのに気がついた。彼は恍惚とした表情で、寂しそうに真っ黒い喪服を着ていた。膝の上に、白い布に包まれた小さな箱を置いていた。その形からみて、それはおそらく日本の遺骨箱だろうと思いあたったが、それ以上に見ようとしなかった。

 機内は、会話もあまりなく、エンジンの騒音ばかりが耳に飛びこんでくる。しばらくすると、機内放送でスチュワーデスの柔らかい声が流れてきた。「この飛行機はただいま、日本の上空に入りました。いまから、長崎、大分、瀬戸内海、そして関西国際空港に到着する予定でございます。」

 僕にとって久しぶりの日本語だったからか、新鮮にも聞こえた。隣りの席のお爺さんは何かはっきりとしない声でぶつぶつ言いはじめた。「ケンちゃん、帰ったぞ。やっと帰ったぞ…」

 独り言のように、また誰かに訴えるかのように聞こえてくるが、お爺さんの声はそれほど調子外れでもない。飛行機の騒音に重なっていたせいもあり、微かに聞えてきた泣き声もすぐに消えてしまった。

 静かなところで聞けば、その声は悲しすぎるかもしれない。お爺さんはきっとそのとき感情を抑えきれなくなったのだろう。隣に座った僕は、この時、心の中では慰めたいと思いながら、口は開かなかった。日本上空を飛んでいる日航機だけが大きな音を発している。

 遺骨はお爺さんの息子だろうか?中国旅行中に事故でも遭遇したのか?それとも急病で倒れ、病院に運ばれたが、手遅れだったのか?勝手にあれこれ推測してみた。 しかし、これは推測ではなく、恐らく遺骨は日本のどこかの墓地に安置されるに違いがない。僕の知るかぎり、遺骨が墓石の下に埋葬される時、この箱も要らないはずだ。そして遺骨はこれからも徐々に日本の土に帰されていく……

 飛行機は無事に関西空港に到着した。自分でもなぜかわからないが、3時間ほど前に離れたばかりの北京に熱い思いを馳せた。

posted @ 2008-09-13 15:57 amao2008 阅读(366) | 评论 (2)编辑 收藏
2008年9月3日
  実を言うと僕は飛ばし屋で、空を飛ぶような感覚はオープンカーでもなければ感じ取れないと思っている。ハンドルを握ると、道の両側の景色が河のように流れてゆき、視覚上の曲線がスピードを感じさせてくれる。でも車内に縮こまっていては、少なくとも空気を自分のものとして感じ取ることはできない。その点では断然バイクがいい。

 
 
  道路を飛ばすクルマは詩を書く人に似ている。とくに詩を書く人の状態に近い、と時々思う。

  まず、あるイメージがあり、かなり明確な方向が固まり、ゴールもほぼ決まっている。書き始めは緩慢に動き出し、速度を出したり、少し休んだり、イメージの旅は人によってその長さも違う。途中で筆が止まることもある。ところが、イメージが固まっていなかったのに、途中でふと湧いた思いつきから新しいイメージが生まれ、まるで自動車を飛ばすように突然空に舞い上がり、てっぺんまで飛翔することがある。そうなると、書きたかったことがすらすら書ける。思ってもいなかったことまですらすら書ける。「筆底生花」とはまさにこんな状態のことではないだろうか。  

  『現代漢語詞典』の説明では、「筆底生花」という言葉の語源は、李白が子供の頃に筆の先から花が咲く夢を見、その後才能が開花して天下に名を知られたことによるそうだ。現代に李白が生きていたら、夢など見る必要はない。四輪でもオートバイでも、クルマを飛ばせばきっとその才能が溢れ出すこと請け合いだ。  

 李白と言えば、母親がみごもったとき、宵の明星(太白星という)が懐に入った夢をみたので、白という名、太白という字がつけられたという。彼は、四十歳をすぎてから、やっと長安のみやこに召されたわけだが、やがて、仙境にあこがれ、有名な廬山など各地を旅し、詩を書きつづけていた。最後にいまの安徽省の李陽氷宅で死んでしまった。楊子江に船を浮かべながら、酒を豪快に飲んだあげく、水に映る月の影をとろうとして溺死したという。時代は異なっているが、李白は生きるという意味において間違いなく唐代の飛ばし屋だったと思う。  

 彼にはこんな詩句が残っている。「暫伴月将影 行楽須及春」。つまり、月と影とわしの三人で「行楽はかならず及春なるべし」と歌い舞う。虚境という世俗を離れた彼の思いというものは仙人となることであろう。
posted @ 2008-09-03 14:48 amao2008 阅读(61) | 评论 (0)编辑 收藏
2008年8月28日
 人の交流がふえると言葉もふえる。あえて比喩を用いるなら、天井が高くなり、空間も広げたのである。さまざまな余分なスベースを、どういう言葉で埋め合わせるかによって、ほんとうの意味での豊かさが味わえるはずのだ。

 ここでの言葉とは、日本人学生にとっての中国語を指していいたいところだが、天井の高さに見合った文化が育たなければならない。暗記を得意とする単語ばかりがふえても、言葉がふえたことにはならない。

 言葉は基本的に、衝動習いの情念を燃やすものである。そのために、日本人学生に小さくても虫の音色や小河のせせらぎを中国語と同じレベルで聞いてもらいたい。

 人間は、言葉も喜怒哀楽も、言い換えれば理性も感性も脳が受け持っている。例えば、邦訳の小説を読み、映画を見たとする、たいへん感動し、中国語に対して無関心のはずなのに、ついつい情緒的に反応してしまうのかもしれない。

 問題は中国語への引導療法があるかどうかである。

 僕の企画でここ数年、中国の著名人を日本にお招きして、複数の大学で文学やその他について縦横に語っていただいた。たとえば、映画監督、友人の霍建起氏を迎えることにしたのである。そして、関大と神戸外大でそれぞれ、彼の監督映画『山の郵便配達』をみんなに見てもらい、話をじっくりと聞くように準備してきた。
 


 相変わらずだが、今回も裏方としてすべての手配にかかわった。中国語の勉強に励む学生のことを思うと、言葉への衝動習いは瞬時に効果を顕すものではなくても、少しずつ効いてくるようにと、願うばかりなのである。 
posted @ 2008-08-28 07:43 amao2008 阅读(199) | 评论 (0)编辑 收藏
2008年8月18日
 小説は自分では書かないが、読むのは好きだ。旅行のときはたいてい、一冊をカバンに入れていく。この点、文庫はかさばらなくて旅のお伴にちょうどいい。お気に入りの小説家が何人かいて、それはどんな小説を読んできたのかはわからず、結構いい加減なものである。

 駅の待合室やホテルの喫茶室はともかく、家近くにある公園のベンチで取り出したりしたからだ。読むだけではなく、小説を横に置くと、眼は少し遊んでいたら、もうすぐ寝てしまうときもある。

 しかし、小説に関してのみ言うなら、表紙の傷みぐらいでひと目でわかる気もする。この頃いちばん傷み激しいのは、乃南アサ『夜離れ』である。ずいぶん、いろんなところに持っていった。中国でいうと、北京や上海、それに杭州市内。宿泊先のホテルの部屋とともに、ヨレヨレ表紙の小説もまた、微妙な静寂さに疲れを増していた。

 僕の読む小説では、なるほど、この僕が含まれているかもしれない。
posted @ 2008-08-18 11:25 amao2008 阅读(432) | 评论 (0)编辑 收藏
2008年8月15日
posted @ 2008-08-15 18:19 amao2008 阅读(1296) | 评论 (3)编辑 收藏
2008年8月6日
  馴染みのある街上海に行くたび、ある種の不思議さにほっとする。なぜか暖かい感じもする。

  年月がどんなに早く過ぎ去っても、身体の奥に、昔の記録を残したまま、われわれは生きているのではないだろうか?小学生のころ、確か夏休みだったと思う。上海市を横切って、親戚の家から少年宮という、日本で言えば塾のようなところにかよっていた。往きはバスを四回も乗り換えなければならなかったが、帰りはいつもキリスト教会の前をゆっくりと歩き、時には立ちどまるゆとりがあった。

  北京生れの僕だからこそ、上海の暖かさを感じるのだろうか?その暖かさは、意気揚々とした晴れやかな大都会のそれとは違った。この感想を、人に聞かせれば、少年の感傷物語と受け取られるかもしれないが、僕にはそう思えない。

 今だって、上海の暖かさは昔となんら変わらないものと信じたい。

 教会のまわりを、電線が蜘蛛の巣のように空を覆っているのも、僕の目には暖かさを感じさせものの一つに映る。これも昔からそうだったのである。旧上海の市街は一部がいまも未破壊のままに残っている。それどころか、むしろ今は、古い建物であればあるほど人気を得ることになる。例えば、新天地という若者がよく集まる場所、目を凝らして昔を懐かしく思わせる街区を歩きまわってしまう。

 いったい何が新しいというのか?なにげなくお洒落な喫茶店に入ってみると、すべてが黄色と白銀に包まれているのにまず驚く。天井から射し込んでくる光がさらに、半円形の壁を通って降り注ぎ、カウンター前の高い椅子を浮き立たせている。カウンターの反対側の壁には、一本の柱で教会風に支えられた黄金の十字架があり、その下にはアルファベットの文字が刻まれていた。残念なことにその場で解読できなかった。上海のなかでやっぱりおのれの無知を思い知らされた。

 北京育ちの僕はこのように概嘆したのだが、どうやら、今の上海には、その細部に世界の注目を擁くに値する事があるらしい。先にも少し書いたように、それは僕にとっての暖かさでもあったが、ほっとすると同時になぜか今は不可解な孤立感を味わっている気分なのである。
posted @ 2008-08-06 04:38 amao2008 阅读(329) | 评论 (2)编辑 收藏
2008年8月4日
  僕はいまだかつて人生を一変せしめるような宗教体験を味わったことがない。このことが念仏者ではないものとして、決定的な欠如であることぐらいは、ほか誰よりもこの僕が一番よく知っている。無論、なにも親鸞聖人の語録に書いてあるような大悟徹底を得たいなどというような横着なことを望んでいるわけではない。



 言ってみればこの僕はいまだに、世の中と人間が無常・苦・無我にほかならないのだと仏陀が説いた「真実」に直面する機会に恵まれないまま、のらりくらりと楽しく人生をすり抜けてきた半端な人間でしかないかもしれない。

 しかし、このことを僕は今、まったく恥ずかしくないと思っている。簡単な話であるが、その根本原因は来日の日常暮らしから拾い上げられ、お寺という異質的空間に移されたところにあったと告白せざるをえない。異質という言葉はきつすぎるが、苦悩せる人々を導くことを使命とするそのお寺の空間が、実に苦悩を体験していないということほどの心の広大さはあると思うからである。



 無論、人間だって誰でも己の苦悩があるはずだが、僕の場合、その苦悩を契機として人生の味わいを深めたいと思っている。決して苦悩からの解脱ばかりを願うわけではない。要するに苦悩としての苦悩はあまり存在しないのではないかと、つねづね内省しながら引き返すこともできないままに、この日常の道を歩き続こうとしているのである。

 写真は三河別院の暁天講座。動画は講話前のお経を読む御影堂↓ 詳しくは中国語ブログ+佛法清凉的东瀛夏日

posted @ 2008-08-04 18:47 amao2008 阅读(250) | 评论 (0)编辑 收藏
2008年7月23日
posted @ 2008-07-23 09:43 amao2008 阅读(1161) | 评论 (4)编辑 收藏
2008年7月13日
 秋田県を旅した。小さな町どこも過疎化と都市との格差でさびれきっていたが、どこへ行っても僧侶はかならずいるのに驚かされた。なんでも、日本に生まれた人は誰もが当たり前のように僧侶のいる風景をみせられ、年に何回か僧侶と会えるはずだという。際立った存在も特別な情景も日本にはない。なのに、僕に好奇心を抱かせた。仏陀が煩悩に勝るという瞬間は日本の日常にあるかもしれない。




 後日からの旅は、道元を読むことからはじめるつもりなので、三ノ宮のジュンク堂で関連書籍をいっぱい買い込んだ。知人の立松和平『道元という生き方』は、僕の好きなテーマで午後にも読み終えたいものである。後は五木寛之先生の講演集も面白そう。

 ともかくしても、日本は海に囲まれた島国であるから、天然の国境にしっかりと守られながら、外国の侵略を直接受けた経験がない。この意味において、能天気な感性も豊かということも言えるかもしれない。
posted @ 2008-07-13 09:28 amao2008 阅读(882) | 评论 (0)编辑 收藏
2008年7月10日
 香港在住の湯氏は日本で数年を過ごし、この国の独特のサブカルチャーと人間模様を素材にした大都市の諸現象を、外国人の目で鋭く観察して特色を見極めるとともに、奥深いところに日本発の文化創出を心から歎いている。つぎの一節を味わわれるがよい。

 現代の日本には、はなはだしい経済的停滞が見られる。この停滞の影響は、その及ぶ範囲がこの国にのみ限られるものではなく、実に世界の多くの国々にも関係するのである。しかし、その一方、従来の日本文化に存する創造的なものが、世界にとっても最高の価値を有していたということであり、そして日本という文化大国がその創造力を回復し得たことは忘れてはいけないのである。



 そんな湯氏から自著『整形日本』の序文依頼が入ってきた。無論、大手出版社経由ではあるが、その理由を聞くと、どうやら拙著の愛読者のようだ。確かに孔子『論語』にもあった「以文会友」、いわば文を以て友を会すという意味なのであるが、彼とのご縁はこれに適しているかもしれない。

 もうひとつ、湯氏の後輩でテレビ・読書番組のキャスターを務める梁文道という男がいて、日本文化についてしゃべりだすといつも熱入り過ぎるほどである。香港と言えば、久しぶりだし、やはり飲む気分になる。
posted @ 2008-07-10 00:17 amao2008 阅读(126) | 评论 (0)编辑 收藏