お隣りに、なっちゃんという子がいる。今年七才になる女の子だ。両親揃って魚釣りが趣味で、週末になるとかならずどこかへ出掛けては釣りを楽しんでいる。車に積み込む釣道具をみれば、今週は川に行くのか、それとも海釣りの舟に乗るのか、同じく釣り好きな私には容易に見て取れる。
ところが、大人の趣味に反して、なっちゃんは魚釣りはあまり好きではないようだ。釣りに出かける前日になると毎回、両親によるあの手この手の「なっちゃん説得作戦」が行なわれる。
「お魚は、おもしろいよ~。川も海もプールよりずうっときれいだし、なっちゃんよりも大きなお魚が泳いでるんだから」
しかし、なっちゃんの反応はというと、いつも黙って下を向いたまま。決して両親と眼をあわせようとしない。なぜそれほどまでに拒絶反応を示すのだろうか。父親はどう考えてもその理由が見つからなかったが、母親のほうは、なっちゃん本人からそのわけを聞いていた。
「血がついたお魚のお口って、とってもかわいそう。お魚だって痛いんでしょ?」
きっと初めての釣りのときに、口に刺さった釣り針で血まみれになった魚を目の当たりにして、かなりのショックを受けたに違いない。
それ以来、釣りに出かけるときには、なっちゃんには家で留守番をしてもらうことになっていた。「一人ぼっちはさぞ心細いだろうに」と気遣う両親の心配をよそに、当の本人は留守番を案外喜んでいるようだった。
そんなある日のことだった。家の外に出てふと隣家を仰ぎみると、あの釣り嫌いのなっちゃんが、なんとベランダで釣り竿を両手に握っているではないか。しかも、まるで魚釣りを楽しんでいるかのように…。木の椅子に坐り込み、丸くなったなっちゃんの体は小さく、釣り竿だけが空中に高々と舞い上がっていた。
「なっちゃ~ん、一体何を釣ってるの?」
私は、不思議に思い尋ねてみた。
「蝶々さんを釣っているの。あれみて、ほら、あそこに飛んでるでしょ」
なっちゃんの視線を追って遠くの方に眺めると、たしかに、太陽の下で金色に輝きながら、小さな点がふたつ、飛んでいるようにみえた。それは何かしら奇妙な光景であった。釣竿の糸の先に目をやると、そこには釣針のかわりに、大きな花びらがひとひら、付けられていて、風にそよそよと揺れていた。薄黄色の花びらは、一枚の薄絹のようにひたすら宙を舞っている。そうか、魚が餌をつけた針に食いつくように、蝶は花びらに飛びつくというわけか。
なっちゃんは大きな目をいっそうまん丸にさせて、蝶が近づいてくるのを真剣に待ち受けている。いつの間にか私もつられて立ち止まり、じっと釣竿を見つめていた。すると、小さな点のように見えた蝶はだんだん大きくなり、不規則な曲線を描きながら、釣糸の先の花びらの周りに舞い込んできたのだった。
気がづくと、なっちゃんも私も、蝶と花のすばらしい出会いの立会人となっていた。まるでそうなることを最初から確信していたかのように、なっちゃんは無心な笑顔で、身じろぎもせずに、その和やかで暖かい風景に静かに見入っていた。
私はなんだか涙が出そうな気分になり、次の瞬間、思わずなっちゃんに大きな拍手をおくったのだった。

posted on 2008-12-02 12:58
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