昨夜ネットでこの前知り合った友達に出会った、友達と言っても、ただネットで何回チャットしたことがあるんだ。けれども、出会っただけのは縁で、皆友達であると思う、ネットでも、現実でも同じだ。そちらは最近仕事が忙しいし、先輩もそんなに熱心されていないから、心身とも疲れたと言ってくれた。新たな仕事なので、まだ1ヶ月ぐらいだったそうだ。僕は、何も役に立たないけど、道理ではなんとか少しだけ分かっている。

 仕事は重要であるというのは、疑問がない。だから、仕事に対して、一生懸命にやっているのも当たり前のことだと思う。しかし、仕事はいったいどれほど重要であろうか、人によって考えも色々あるが、僕は、自分の標準が持っている。

 多くの人に対して、早くも遅くも、好きでも嫌でも、結局仕事をやる。何でやらなければならないか、理由は千万もあるが、1つに集まれば、自分の生活或いは自分が関心している人をもっと充実、幸せにさせて、もっと楽しく毎日を送らせるわけだ。無論、基準の生活需要も含まれている。だが、現代人は仕事すればするほど、自分も仕事に支配されて、結局仕事の僕になった。最初の目的も全然覚えていなくて、ただ毎日仕事、仕事ばかり分かる。確かに、普通の人にとって、幸せになるのは、お金が不可欠なものである、でも、どのぐらいのお金も、ただのお金で、幸せと等しくない、意味すごく分かりやすいだろう、例えば、ある人は数えられないお金が持っているけど、ロビンソン・クルーソのように、一人で無人島に住んでいる、そうしたら、お金とは、幸せに全然意味がないではないか。幸せとは、健康な心身、充実な情感、豊かな物質、生活の情熱に関わる、お金も、ただその1つ、しかも十分利用しなきゃだめだ。同じで、仕事もただそのひとつで、生活の全てではない。仕事の以外、また自分の自由生活がある、もし、ただの仮説、仕事と自分の生活のなかに、1つしか選択できないと、僕は仕事を捨てる。

 なぜなら、仕事はただいい生活への手段のわけだ、逆になるのは愚かであると思う。仕事より、友達、家族、純粋な気持ち、健康な体などが大切だ、真面目に仕事するのはいい生活に役に立つけど、一定な限度がある。その限度は、自分の生活は該当な仕事で本当に楽しくなったのか、本当に充実になったのか、本当に自分が欲しいものを手にして、好きなことができるのか、結局仕事だけ手にして、逆に自分の楽しい生活が捨てられれば、一番風刺的なことだと思う。

 君、いったい何がほしいかと、ちゃんと考えたことがあったのか。