小学校の頃、毎年とも楽しみしていることは二つある、1つは新年、もう1つは児童の日。春が終わり次第、天気が日一日と暑くなってきたとともに、仲間も僕も6月1日を毎日楽しみにして、わくわくした。朝学校に行った途中でも、午後放課後で帰った途中でも、近づけてくる児童の日は、いつも話題になっていた。

 児童の日なら、全郷の小学生も中心小学校に集まって、歌いとか踊りとかプログラムを演じて、コンクールを行うことになっている。子供は皆遊びが好きで、賑やかなことも当然に好きだ、僕らは例外ではなく、もっと好きだと思う。児童の日まで1ヶ月或いは2ヶ月前からも、組によってプログラムをリハーサルし始めた。先生たちも生徒たちもそれを随分気になって、時間があったら真面目に練習していた。更に両親まで、それに関心を持っている。

 やっと児童の日が来た。朝早く起き、重い鞄でも背負わないで、楽に学校に行った。貧乏でも、その日はほとんど新しい服を着て、両親から3元、5元或いは10元の小遣いを貰った、今の1元は大したものじゃないけど、その時の僕らにとって、結構多いと思っていた。平日は新たな服も、小遣いもなかなか貰えないので、とりわけ貴重なものだ。そういう点だけで、児童の日を楽しみにする値が入っている。

 児童の日では授業が勿論ない、遊びの他に、依然として遊びしている。露店の料理店、果物屋、飲食店、小さな玩具を販売する担ぎ屋など、至る所ある。大体10時半頃、パフォーマンスが始まった。生徒と生徒の家族、学校の付近の人は、ステージの周りでぐるりと取り囲んで、おお騒いでいた。僕は、毎年も演出に参加していたが、前の3位には、一度も入ったことがないようだ、下手だね。偶々、食べ飲んでから、別にやることがないと、他の学校の子供と喧嘩したこともある、勝ったこともあるし、負けたこともある、それは、午後のことだ。偶には、パフォーマンスが終わったら、皆と一緒に映画を見に行った。入場券の費用は、学校が払って貰った。

 日が西山に近づけた時、僕らも帰り道に踏まれた。今年の児童の日を背にして、また来年の児童の日を楽しみにした。そういう気持ちが小学校卒業までに続けていた。

 僕の児童の日は、もう15年前のことだけど、時々その時のことを思い出して、知らずに笑い出した。地震で家、更に家族もなくなった子供たちにとって、今日は絶対楽しい祝日ではない、でも、人生の道はまだまだなので、避けられない災難に負けないでほしい。倒れても、その所で立て上がる。なんと言っても、今日は如何しても去っていく、新しい明日はまた続いて来る。今日の児童でも、いつの間にか大人になる、その時、また今日を顧ると、災難にも、必ず越えることではないと思っているかもしれない。