先日、ネットで芥川の著書の「侏儒の言葉」と言う本を買った。短いな文章からできている文集だけど、色んな話が書いてあった。序では、「侏儒の言葉」は必ずしも私の思想を伝えるものではない。ただ私の思想の変化を時々伺わせるのに過ぎぬものであると、芥川が説明していたが、思想の変化も、やはり思想ではないかと思う。
人間は誰でも、自分なりの考えがあるはずだ。それに、どんな考えも永遠に同じな内容ではなく、何時か変わる。そういう考えは、思想とも言えるだろう。ただ、ある人は考えていたことはそのままで、新しい考えが来ると過去のを捨てて忘れた、ある人は、即ち芥川のような人は、その際の考えを文字にして記録した。別にどっちかいいか悪いか言いたくない、しかも言えないが、考え、つまり思想は自分の人生にとって重要であると思う。
「侏儒の言葉」の中に記録した芥川の思想の変化は、なんだかじめじめして、ちっともの日光もないようだ。若しかして、思想は深くなると、光がその中に照らされないだろうか。1927年、ただ35歳の芥川は変な不安で自殺したのは、必ずそういう思想か思想の変化に関われていると思う。
俺も、偶には自分の考えを記録している。別に奥深い道理はないが、何とか自分の思想とは言える。しかし、俺はそんなに早くこの世と別れたくないから、侏儒の言葉ではなく、前向きの言葉を書く。