古墳時代とおぼしき「日本書紀」仁賢天皇の条に、瓜(うり)を食べる場面がある。「喫(くら)ひたまはむとするに刀子無し…」。手もとに刀子がなかった、と
《日本书纪》里,在好像是古坟时代的仁贤天皇那一章节中,有描述吃瓜的场面。“欲喫而无刀子……”。意思是身边没有刀来切瓜。
刀子は「とうす」、ナイフのことである。いにしえの貴人が瓜にかぶりついたとも思えない。現代人がメロンの皿を前にした時のように、ひと口大に切り分けたのだろう
“刀子”的假名为とうす,是指切水果等物品的小刀。我不觉得古时的贵族是一口一口地咬瓜吃。他们应该也像现代人把瓜盘放在跟前的时候那样,把瓜切分成一小口一小口的吧。
考古学者の森浩一さんは刀子について、「ドスの発音につながるようだ」と著書に書いている。ドスの語源は「おどす」に由来するともいわれるが、「とうす」説も文化の奥行きを感じさせて味わい深い
关于“刀子”,考古学家森浩一在著作里写道:“とうす好像跟ドス(短刀)的发音相关”。虽然有说法认为ドス源于“おどす”(恐吓),但来源于“とうす”的说法也让人感觉到一种文化底蕴,意味深长。
奈良国立博物館の「正倉院展」で刀子を見た。三本一組で、「小三合水角鞘御刀子(しょうさんごうすいかくざやのおんとうす)」という。冷たく光る刀身も、水牛の角でこしらえた鼈甲(べっこう)色の鞘(さや)も美しい。刃と器の触れ合う音や、宴のさざめきが遠く聞こえたような気がする
我在奈良国立博物馆的“正仓院展”上看到了刀子。三把一组,叫作“小三合水角鞘御刀子”。无论是闪着寒光的刀身,还是用水牛角做成的龟壳色的刀鞘,都美不胜收。看着刀子,似乎能听到远处传来刀刃和盘子摩擦的声音和宴会的嘈杂声。
刀子の柄を、どういう指が握ったのだろう。手の大小は、肌のつやは、爪(つめ)の色は…。聞こえない音に耳をすまし、見えない情景に目を凝らすのも、この催しの愉楽に違いない
那些人是用什么手指握住刀柄的呢?手的大小,皮肤的光泽,指甲的颜色……。侧耳倾听那些听不见的声音,凝神注视那些看不见的场景,肯定也是这个展览的乐趣所在。
博物館を出て、奈良の駅前で柿をもらった。「柿の日」のPRという。新幹線のなかで、つややかな秋の実を食べた。「喫ひたまはむとするに刀子無し」。愉楽の余韻に浸り、含み笑いで柿をかじる男は、隣の乗客の目にはさぞかし気味悪く映ったことだろう。
走出博物馆,在奈良车站前领了柿子。据说是“柿子日”的宣传。我在新干线上尝了尝这个光润的秋季果实。“欲喫而无刀子……”。在邻座的乘客眼里,这个沉浸在乐趣的余味中、含笑咬柿子的男人,想必让人觉得很恐怖吧。
posted on 2007-10-31 15:34
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