20年目に入った平成の世は、19年前のきょう始まった。あの日曜をたどりながら、東京都立川市の昭和記念公園を訪れた。落葉樹のケヤキやコブシはすっかり裸である

进入第20个年头的平成世纪,是从19年前的今天开始的。我在追忆那个星期日的同时,去了东京都立川市的昭和纪念公园。落叶树的榉树和辛夷全都掉光了树叶,变得光秃秃的。

地元の画家、群馬直美さんの「葉っぱの詩(うた)」展が園内で開かれていた。原寸大に描いた木の葉の細密画は、朱や黄が差した色合い、枯れっぷり、髪ほどの葉脈、虫食いの小穴まで引き写す。写真を超えた生々しさである

当地的画家群马直美的叶之诗展览在园内举行。与原物尺寸一般大小的树叶工笔画,绘出了叶子所呈现出的红黄色彩,叶片的干枯状,像发丝一样的叶纹,甚至连叶子上小虫啃噬的小洞都临摹了下来。画像之逼真,超越了相片。

自称「葉(よう)画家」の群馬さん、葉へのこだわりは学生時代から四半世紀になる。どの一枚にも濃密な物語があるという。道端の落ち葉は大声で「親」の名を叫ぶそうだ。周りを見回し、空を見上げると、兄弟たちがヒラヒラ手を振っている。作品集『木の葉の美術館』(世界文化社)の一節だ

自称是树叶画家的群马,对树叶的执着始于学生时代,至今已有四分之一个世纪。据说,无论是哪一片树叶上,都有浓厚而细腻的故事。路边的落叶似乎在大声叫着父母的名字。环视四周,仰望天空,兄弟们正翩然摆动着手。这是作品集《树叶的美术馆》(世界文化社)里的一节。

一本の木でも、葉の表情はすべて異なる。群馬さんは、この〈みんな違う、みんな主役〉の状況に感嘆する。「私たちも一枚の木の葉。ありのままの自分で輝きだしたら、地球は今よりずっと幸せそうな一本の木になるに違いありません」

即使是同一棵树上,叶子的表情也全都不尽相同。群马,对这个大家都不一样,大家都是主角的状况感叹说。我们也是一片片树叶。如果大家都坦诚以待,地球肯定会成为一棵比现在要幸福得多的树木

新緑の頃の差異は小さいが、虫に食われ、鳥につつかれ、雨風に打たれて、木の葉は個性を蓄える。散る時も別、そのあとも、土に還(かえ)る者、たき火で天に昇る者と「十枚十色」。一枚ずつ名前をつけてやりたくもなる

在树木刚生出新绿的时候,叶子之间的差异很小,但被虫子啃噬,被鸟啄食,被风吹雨打之后,树叶积蓄了自己的个性。树叶在凋零时也不一样,之后也各不相同,回归土地的叶子,在篝火中升入天堂的叶子,十片十色。也想给每一片叶子取一个名字。

昭和、平成。黙して時代を越えてきた樹木の営みに、切れ目なき命の流れを思う。冬の一日、葉を落とした木々と小さな「葉画」に囲まれていると、生死の境が一瞬ぼやけた。生を終えても続きがあるような、ほっとする感覚だった。

昭和,平成。默默跨过时代的树木的一生,让我想起了川流不息的生命之河。在一个冬日里,被凋零的树木和小小的叶画所包围,竟在一瞬间分不清生死的界限。是一种即便死去,生命也仍然会延续下去一样安心的感觉。

posted on 2008-01-08 10:04 照照坊主 阅读(66) 评论(0)  编辑  收藏 所属分类: 天声人语 网摘收藏

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该文被作者在 2008-01-08 10:14 编辑过