神谷幸右衛門。落語の「大仏餅」は、しゃべり慣れた演目なのに、その名前が出てこない。「申し訳ありません。もう一度、勉強しなおしてまいります」

/神谷幸右卫门。单口相声《大佛年糕》是他演出过很多场的曲目了,却想不起这个名字来。“对不起,我再记一遍”。

★だいぶつ‐もち【大仏餅】近世、京坂地方で流行した餅で、上に大仏の像を焼印で押したもの。京都誓願寺前や方広寺前などに有名な店があった。のちに江戸でも流行。

 昭和の名人といわれた八代目桂文楽が高座で絶句したのは1971年で、以後高座にあがることはなかった。精巧で、寸分の狂いもない芸を極めた文楽だが、晩年は、高座で絶句するという恐ろしい日に備えて、あのわび口上のけいこまでしていたという(『日本人の自伝』平凡社)。

/昭和时代名人第八代桂文乐在舞台上忘词是1971年,之后再也没有登台。据说对艺术精益求精、不容半点差错的文乐晚年为防备在舞台上忘词这一恐怖日子的到来,甚至提前练习道歉时的台词(《日本人自传》平凡社)。

★かつら‐ぶんらく【桂文楽】落語家。初代は江戸の3代桂文治の前名。8代(実は6代)は本名、並河益義。青森県生れ。洗練された名人芸で、黒門町の師匠と尊称される。
★こう-ざ  [0][1] 【高座】(1)寄席などで,演芸をする者のために設けた一段高い席。(2)高い位置の座席。上座(カミザ)。上席。(3)説法や論議のために,一段高く設けた席。
★よせ [0] 【寄席】〔「よせせき」「よせば」の略〕落語・講談・浪曲・義太夫・手品・音曲などの大衆芸能を興行する娯楽場。江戸に常設の席ができたのは延享四年(1747)で,子供踊り,物真似が中心であった。よせせき。人寄席(ヒトヨセセキ)。
★ぜっく【絶句】 ―する (一)何かを言おうとしている途中で言葉につまること。〔狭義では、俳優が舞台で、せりふを忘れて つかえることを指す〕(二)非常な悲しみなどのために声をつまらせること。
★ぶん-らく [1] 【文楽】(1)「文楽座」の略。(2)〔文楽座が明治末期に,唯一の人形浄瑠璃専門の劇場となったところから〕人形浄瑠璃の通称。
★そなえる【備える】(他下一)(一)〈どこニなにヲ―〉 必要な物を、前もって(使えるように)用意する。「教室に辞書を―」(二)〈なにニ―〉 何かに対処出来る心構えを持つ。「△冬(必要・仕事)に備えて/△危機(万一)に―」(三)〈(なにニ)なにヲ―〉 徳・才能などを生まれながらに自分のものとして持つ。有する。「資質を―」表記(三)は、「《具える」とも書く。
★こうじょう【口上】【口上】(一)口で言う型通りの挨拶。△物売り(香具師ヤシ)の―(二)〔興行で〕舞台へ出て、襲名披露や出し物の仕組みの説明などをする△こと(人)。「前―」
★くるい【狂い】①気がくるうこと。常道をはずれた行いをすること。狂気。大鏡伊尹「冷泉院の―よりは花山院の―はずちなきものなれ」②事物の調子・形などが普通の状態とかわること。「機械の―」「日程に―が出る」③(ある語の下に付き、「ぐるい」の形で) 常軌を逸して、ある物事に熱中すること。「競馬―」

 三遊亭円楽さんが、高座で「芝浜」を演じた後に引退を表明した。「ろれつが回らなくて、声の大小、抑揚がうまくいかず、噺(はなし)のニュアンスが伝わらない」。一昨年に脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、リハビリを続けて高座に戻ってきたのに、残念なことだ。

/三游亭元乐先生在舞台上演出《芝海岸》后表明引退之意。“吐字不清,声音的大小、抑扬顿挫也控制不好,无法表达出语言的微妙感觉”。他前年曾因脑血栓摔倒,经过康复治疗终于重返舞台,真是太遗憾了。

★しばはま【芝浜】落語の一。芝の海岸で財布を拾った男が、女房の機転で拾った大金のことを忘れてまじめに働き、3年後真相を知る話。
★呂律(ろれつ)が回らない  酒に酔いなどして言語がはっきりしないさまにいう。
★リハビリテーション [5]【 rehabilitation】障害者や事故・疾病で後遺症が残った者などを対象とし,身体的・心理的・職業的・社会的に最大限にその能力を回復させるために行う訓練・療法や援助。社会復帰。リハビリ。

 「お客さんは『まだまだできる』と言って下さると思いますが、それに甘えてたんじゃ、あたし自身が許さないんです」。一時代を担ってきたという誇りと芸への厳しい思いがにじむ。

/“虽然觉得观众会说‘还可以演出’,但我自己不能容许马马虎虎地表演”。这番话表露了担负起一个时代的自豪和对艺术的严谨态度。

 「芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感をなさむ事」と、世阿弥の「風姿花伝」にある(『日本思想大系』岩波書店)。多くの人を楽しませ、感動させることが芸能の目的だとすれば、円楽さんもそうした芸のために才を磨いてきたのだろう。

/世阿弥的《风姿花传》中写着:“所谓表演艺术就是抚慰观众心灵,与观众沟通情感”(《日本思想大系》岩波书店)。如果让更多的人欣赏和感动是表演艺术的目的,那元乐先生也是为了这样的艺术而坚持钻研技艺的吧。

 世阿弥は、50歳を超えたら「何もしないこと以外には手段もあるまい」とする一方で、52歳になった父観阿弥の舞台が「ことに花やかにて、見物の上下、一同に褒美せしなり」とも記した。円楽さん特有の花が、枯れることなく、後進に伝えられるようにと念じたい。
 
/世阿弥年过50后写下“什么都不做才是最高明的手段”,另一方面,他又说他52岁的父亲观阿弥的舞台“异常华丽,全场观众齐声赞美”。希望元乐先生独有的花永不凋谢,世代相传。

★ぜあみ 【世阿弥】(1363頃-1443頃) 室町前期の能役者・能作者。二代目観世大夫。幼名藤若。通称観世三郎。実名元清。芸名世阿弥陀仏(世阿弥・世阿)。観阿弥の子。大和の人。足利義満の支援を得て,父と共に能を大成した。特に,観阿弥以前のものまね中心の能から歌舞中心の幽玄能に改変し,夢幻能という新しい形式を完成させて,能の芸術性を高めた。
★かんあみ  【観阿弥】(1333-1384) 南北朝時代の能役者・能作者。名は清次(キヨツグ)。芸名,観世。法名,観阿弥陀仏(観阿弥・観阿)。世阿弥の父。大和の人。猿楽大和四座の一つ結崎(ユウザキ)座(のちの観世座)の始祖とされるが,異説もある。
posted on 2007-02-27 15:09 零度沸点 阅读(517) 评论(0)  编辑  收藏 所属分类: 天声人语 网摘收藏

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该文被作者在 2007-02-28 00:36 编辑过