初夏の風に吹かれて、週末の東京を自転車で走ってみた。街道で、規則通りに車道を走ると、背後から
ひっきりなしに車に抜かれる。はねられやしないかと、背筋のあたりが寒くなる。
/吹着初夏的风,骑自行车走在周末的东京。按照交通规则行驶在街道的汽车道上,一辆接一辆汽车从后面超上来。很担心会被车撞,后背泛起阵阵凉意。★ひっきり-なし [5][4] 【引っ切り無し】 (形動)絶え間なく続くさま。「電話が―にかかる」「―の催促」
歩道へ上がれば、歩く人に気を使って速度が出せない。牧水の名歌を思い出した。〈白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ〉。なぞらえるなら〈自転車は哀しからずや歩道にも車の道にも染まずさすらう〉。
/到人行道上骑,就得留心撞到行人,速度不能太快。想起牧水的一首有名的短歌。“天鹅不悲伤吗?独自漂浮于碧海蓝天之间”。仿照此句,就是“自行车不悲伤吗?摇摆于人行道和车道之间”。
★〈白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ〉。「哀しからずや」は「かなしくないのだろうか」「そまず」は「そまらないで」(影響を受けて、そうならないで)「ただよふ」は「揺れ動く」「あを」は「あお」「空の青にも海のあをにも」とあるので、空にも海にも接しているところ、つまり海の上にいると考えられる
★さすらう (自五)住みかを定めず目的無しに、旅をして歩く。流浪(ルロウ)する。「当ても無く―」
自転車は車道か、歩道か。古くて新しい問題をめぐって論議が起きている。道交法上は軽車両だから車道が原則だが、危険も多い。とはいえ歩道では人を脅かす。ぶつかる事故が10年で5倍近く増えたというから深刻だ。
/自行车该走汽车道呢,还是人行道?围绕这一古老而新鲜的问题而展开大讨论。按照道路交通法,自行车属于轻型车辆,因此原则上应走汽车道,那样危险也很多。可是,若走人行道,又会对行人造成威胁。相撞事故10年来增加了将近5倍,问题很严重。
歩道の通行規制を緩和する法改正案を国がまとめると、異論が出た。歩行者との事故がさらに増えかねないからだ。だが自転車で車にはねられて死傷する人も年に約15万にのぼる。人の仲間か車の仲間か。白鳥(しらとり)ならぬコウモリの悩みのようだ。
/国家一要制订法律修正案,放宽限制自行车在人行道通行,就有人提出异议。说那样会加剧自行车撞人事故的增加。然而,骑自行车被汽车撞倒死伤的人数每年也大约有15万人。到底是与行人同行,还是与汽车为伍?这就象是当不成天鹅的蝙蝠的烦恼似的。
★なら-ぬ (連語)〔助動詞「なり」の未然形「なら」に打ち消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」の付いたもの〕…でない。「神―身」「道―恋(=道ニハズレタ恋)」
★こうもり〈動〉蝙蝠.◇鳥なき里の~西蜀无大将,廖化作先锋;山中无老虎,猴子称大王;没有朱砂,红土为贵.
自転車のありようは時代を映してきた。昭和の初め、「二十四の瞳」の大石先生は、月賦で買った自転車で分教場へ通い、ハイカラと呼ばれた。戦争が終わると、「青い山脈」の若人が連ねる銀輪は自由な空気を運んできた。
/自行车的历史反映了时代的变迁。昭和初年,著有《二十四只眼睛》的大石先生骑着按月分期付款买来的自行车到分校上班,被称为赶时髦。战争一结束,电影《绿色的山脉》中,年轻人结队飞驰的银色车轮运载着自由的空气。
★あおいさんみゃく【青い山脈】小説。石坂洋次郎作。1947年(昭和22)「朝日新聞」連載。東北の女学校を舞台にした青春小説。戦後民主主義下の男女関係を明るい青春風俗として描く。49年映画化され、同名の主題歌とともに大ヒットした。
骨太な運搬用が消えて、「チャリ」などと軽く呼ばれ出したのはいつからか。歩行者への凶器とも化しつつある様は、他者への優しさを欠く時代を映しているように見える。手軽で、安全で、何より自分のペースで乗れる。自転車の持つ魅力を、どうしたら取り戻せるだろう。
/粗大型搬运用自行车消失了,而开始被戏称为“tyari”是什么时候呢?它演变成伤害行人的凶器的过程似乎反映了这个时代缺少对他人的关心。可以方便、安全、随意地骑。自行车原有这些魅力如何才能恢复呢?
★ほね-ぶと [0] 【骨太】 (名・形動)(1)骨の太いこと。骨格の頑丈なこと。また,そのさま。⇔骨細「―な指」「―な絵筆のタッチ」(2)気骨(キコツ)があるさま。「―な考え方」
★チャリ
⇒ちゃりんこ
(1)子どものすりをいう隠語。(2)自転車・小型オートバイをいう俗語。
posted on 2007-05-28 21:34
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