幼いころから病弱だったゆえでもあろう。亡くなった随筆(ずいひつ)家の岡部伊都子さんが紡ぐ(つむぐ)言葉には、「生かされている」という思いが息づいていた。感謝と表裏(ひょうり)をなすように、弱いもの、時代に合わぬものへの、温かいまなざし【眼差し】があった
▼大阪の商家に生まれた。2歳で右耳の聴力を失う。女学校は結核で退学した。世を嫌って、「なんで私なんか産んだ」と母親を責めた。母親はそんな娘に、「あ、また死にたい顔したはりまんな」とおどけてみせたそうだ。岡部さんは笑って、泣いた
▼長じると、婚約者を激戦(げきせん)の沖縄で亡くした。その人は、出征の寄せ書きに「勝つもまた悲し」と書くような青年だった。「この戦争は間違っている。天皇陛下のために死ぬのはいやだ」と言い残すのを、「私なら喜んで死ぬ」と突き放すように見送った
▼非戦の理想と言葉は、軍国乙女(おとめ)の理解を超えていた。激しく悔やんだのは、戦争が終わってからだ。自らに「加害の女」の烙印(らくいん)を押す。疼(うず)きとともに深(ふか)めた思索(しさく)を、130冊もの著書(ちょしょ)に刻んできた
▼京都のお宅を昔、真夏に訪ねたことがある。「夏やせに寒細(かんぼそ)り」の人生だと笑う腕は、きゃしゃ【華奢】だった。「でも弱いから、折れないのよ」。弱さをしなやかさに変えたのは、芯の強さだろう
▼昨夏刊行の『清(ちゅ)らに生きる』(藤原書店)に、婚約者への感謝がある。「(残してくれた)だいじなだいじな言葉がなかったら、わたしの生きてる意味はあらしません」。85歳で去った岡部さんの胸に灯(とも)りながら、婚約者の思いもまた、戦後を照らし続けた。
posted on 2008-05-01 12:32
hjtutu 阅读(30)
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