ウラジーミル・プーチンとは リベラルか、独裁者か、KGBか ――フィナンシャル・タイムズ

フィナンシャル・タイムズ

(フィナンシャル・タイムズ 2007年6月8日初出 翻訳gooニュース) ニール・バックリー
最近になってウラジーミル・プーチンの様々な顔が、次々と表面に出てきた。ロシアの大統領は6月2日、故郷サンクトペテルスブルクでビジネスフォーラムに出席。ロシアの経済復興をお披露目するためのこの会議で大統領は、世界各国のビジネス・トップと会談。その際の大統領は「チャーミングなプーチン」だ。

ドイツでのG8サミットでは、「国家指導者プーチン」が登場。米国が計画する東欧ミサイル防衛システムをめぐる米ロ緊張悪化を解消するべく、譲歩案を提案し、米国側の相手方ジョージ・W・ブッシュ大統領を驚かせた。

しかしその後サミットが進むにつれて、西側諸国は「怖いプーチン」の片鱗を垣間見ることになった。もしアメリカがミサイル防衛システムを作るなら、ロシアは核ミサイルの照準を西欧に向けるぞと、インタビューの中で圧力をかけてきたからだ。このときのプーチン大統領は自信家で、かつ傲岸不遜で、言葉の端々に苦々しいものを浮かべ、さらには辛らつなウイットを交えてこう言った。

「私が『純粋な民主主義者』かって? もちろん。当然だ。しかし今や私のような人間は、ほかに誰もいなくなってしまった。それが問題だ。マハトマ・ガンジーが亡くなって以来、話し相手になってくれる人がいないんだ」

任期満了まで残り9カ月の今になっても、世界はプーチン氏について、ひとつの答えを見つけられずにいる。旧ソ連国家保安委員会(KGB)の元大佐が大統領になってからの7年間、国際社会はずっと、「プーチンとは何者か?」という問いの解答を探しあぐねてきた。大統領就任後、まず最初に姿を現したのは、ソフトでリベラルな強権独裁者「プーチノチェト」(訳注:チリのピノチェト元大統領にかけている)だった。ソ連崩壊からまもない1990年代のロシアに秩序を回復させ、自由主義経済の導入のための改革を断行するプーチン氏は、強権的なリベラルだったのだ。

2001年9月11日に米同時多発テロが起きてからは、プーチン氏は西側の友人だった。ブッシュ大統領に追悼の電話をかけたり、米軍のアフガニスタン攻撃に協力するため、旧ソ連領だった中央アジア諸国での米軍基地設置を支援したり。

しかしプーチン氏はその後、エリツィン前大統領時代に強大化した「新興財閥」たちの追い落としに力を入れ始めた。たとえば2003年には石油大手ユコスのミハイル・ホドルコフスキーCEOを逮捕。ただ「西側の友達」では収まらない、もっとダークなプーチン氏の人物像がこの頃から浮かび上がってきた。このダークなプーチン氏は、野党やマスコミを徹底的に弾圧し、エネルギー資産の国有化を進め、西側諸国には冷戦的レトリックで挑んできた。

大統領2期の間に、プーチン氏の人物像は次第にはっきりしてきた。プーチン氏の伝記を書いているドイツ外交政策協会(DGAP)のアレクサンドル・ラール氏によると、大統領はプライベートではとても温かい人なのだそうだ。「個人的に知り合うと、(プーチン氏は)ずっとチャーミングでオープンな人」とラール氏は言う。「大勢の聴衆を前に演説するよりも、一対一で議論したほうが説得力のある人だ」

もしそうなら、プーチン氏がたとえばドイツのゲルハルト・シュレーダー前首相やイタリアのシルビオ・ベルルスコーニ前首相と仲良くなれた、その秘訣もそこにあるのだろう。しかし公の場ではプーチン氏は実に冷たく、よそよそしく見えることがある。たとえばベスランの小学校人質事件で336人が犠牲になった後、テレビ演説した大統領は犠牲者追悼にはあまり時間をかけず、それよりもむしろ、テロ再発防止の誓いを強調した。このとき使った言葉はおそらく、プーチン氏の考え方を如実に示したものだろう。大統領はこう言ったのだ。「ロシアはこれまで弱すぎた。弱いものは、やられる」

プーチン氏は就任以来、クレムリンや国有企業に自分の仲間を次々と送りこんだ。旧知の親友しか信頼しないし、親しい身内にはとことん尽くすというのが、プーチン氏の特徴なのだろう。その一方で、自分を裏切ったとみなす相手に対する恨みは根深い。たとえばホドルコフスキー氏がそうだ。

ロシアに残る数少ない独立系メディアのひとつ、民間ラジオ放送「エホーマスクヴィー(モスクワのこだま)」の編集長アレクセイ・ベネディクトフ氏によると、「プーチンにとって敵とは、話し合って合意することも可能な相手だ。しかし裏切り者については、話し合いの余地はない」。

西側諸国はこれまで、プーチン氏に何かひとつのレッテルを貼ろうとして、そのことに汲々としすぎたのかもしれない。プーチン氏はリベラルなのか。国家主義者なのか。KGBなのか。

実際のプーチン氏は、この3つの側面を併せ持っている。自由経済主義者だが、エネルギーや防衛といった分野では国家が大きな役割を担う必要があると信じている。政治的な考え方も、国家主義だ。エリツィン時代に学んだ教訓とはすなわち、現時点でロシアにリベラルな自由を認めることは、混乱と国家破たんにつながるということ。大統領就任前のプーチン氏は、ロシア国民にあてた公開書簡にこう書いている。「国家が強ければ強いほど、個人はもっと自由になれる」と。

さらにプーチン氏は未だに厳然としてKGBの人間だ。ドイツのラール氏によると、1999年にエリツィン大統領の後継をねらっていた2つの陣営は、ロシアの未来にとって相当に異なる路線をそれぞれ提案していた。

「新興財閥」ボリス・ベレゾフスキー氏の率いる一派は、西側ともっと連携しあうもっとリベラルな路線を提唱していた。この道を選べば、彼ら新興財閥たちは勢力を保つことができただろう。

もうひとつの路線は、国家保安機関や、知名度のあまり高くないビジネスマンたちが提唱。権力を再びクレムリンとKGBに集約し、国家を強化し、西側諸国とは別個の動きをしながら、中国などの大国に接近するというものだった。この一派が最初に擁立しようとしたのは、エフゲニー・プリマコフ氏。対外情報活動のトップで、エリツィン政権で一時的に首相も務めた人物だった。

ベレゾフスキー派メディアは、まず反プリマコフ・キャンペーンで同氏の人気を失墜させた後、プーチン氏に接近。プーチン氏が意のままになるだろうと期待したかのようだった。しかしプーチン氏は逆に、新興財閥たちを懐柔し、ベレゾフスキー氏と対立。これを受けてベレゾフスキー氏はロンドンに亡命し、プーチン氏はその後、プリマコフ氏が掲げていた路線を継承し、実現したのだ。

プーチン氏は、元KGBとしての本能や直感を、なかなか捨てられずにいる。たとえば北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大は、プーチン氏にしてみれば「ロシア包囲網」なのだ。民主化したばかりの新興国が、安全を求めて同盟しているのではなく。西側諸国がウクライナやグルジアの民主化運動を支援するのは、プーチン氏にしてみれば、ロシアの裏庭にちょっかいをだす西側帝国主義の介入なのだ。大統領は今でも、西側の民主主義とメディアをシニカルに見ている。

「彼にとってマスコミは、市民社会の機能を担う存在ではなく、目的達成のための道具だ。彼自身がマスコミをそうやって使っているし、自分の敵もマスコミをそうやって使っているはずだと考えている」 ベネディクトフ氏はこう言う。

プーチン氏は娘2人をマスコミの目から遠ざけるなど、自分の私生活をほとんど明らかにしていない。一方で、日ごろアドバイザーとして頼りにしているのは、飼い犬の黒ラブラドール「コニ」だと、記者会見で冗談を口にしたことも。リュドミラ夫人とのインタビューから浮かび上がってくるのは、禁欲的な修行僧めいた人物像だ。家では仕事のことをほとんど口にしないし、仕事から帰ってきて好んで飲むのは醗酵乳ケフィアのドリンク。また「西側の誘惑」を避けるために、妻にはクレジットカードを禁止したのだという。

果たして来年の任期満了と共に、プーチン氏はロシア憲法の規定どおりに退任するかどうか。プーチン大統領の歴史的評価は、これでかなり違ってくる。そしてさらに長い目で見れば、ロシアが今後どうなるかで、プーチン氏の歴史的評価はさらに変わってくる。もし経済復興が今後も続き、政治的自由が制限されている現状が一時的なもので終わるなら、プーチン氏はやがてロシアの救世主として称えられるかもしれない。その余地はまだ残っている。逆に今後ロシアがもっと権威主義的・独裁的な国家となるなら、プーチン氏の名前は、権威主義的な過去と決別しようとしたロシアの改革の芽をつぶした人間として、長く記憶されるだろう。

しかし反対勢力やリベラル知識人を除けば、今のロシアで、プーチン人気はとても高い。多くのロシア人はプーチン政権の下で、社会の安定は回復し、民族の誇りも復活したと感じているからだ。中央ロシア・ヴォロネジで不動産開発業を営むアレクセイは、もしプーチン3選がありうるなら、喜んで投票すると話す。

「プーチンがいれば僕たちは、もう引け目を感じなくて済むから」


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