「人は裸足で生まれ、裸足で死んでゆく。その間の生を、靴は共にする」。先週、64歳で亡くなった靴デザイナー高田喜佐さんの『素足が好き』の一節だ。
「人是光着脚出生,光着脚死去。在那之间活着的时候,总是与鞋子一起度过的。」这是上周于64岁去世的鞋设计师高田喜佐的[喜欢光脚]中的一节。
靴にデザインの概念を持ち込んだはしりで、ブランド「キサ」を設立した。「私の作った靴が、私から離れ歩いてゆく……さまざまな人と出会い、旅をする。涙を流し、笑い、沈黙し、愛を語り、地球の上で、その人と大地をしっかり結んでいる」。思いが詩的にほとばしるのは、母が「おかあさん詩人」の高田敏子さんだったからか。
以鞋子设计的先潮理念,创立了[キサ]品牌。「我做出的鞋子,从我这里走出去。。。和各种各样的人相遇,开始旅行。流泪,欢笑,沉默,诉说着爱,在地球上,将那个人与大地紧紧的结合在一起」。能迸发出如此充满诗意的语句,想必是因为他的母亲是[妈妈诗人]的高田敏子吧。
敏子さんは戦後、普段の暮らしの中の出来事をやさしくつづりつつ人生のきらめきをうたった。「男は毎朝/カミソリでひげをそる/そのとき女は/包丁で野菜を刻んでいる/お互いに刃物を使いながら/刃物を感じないでいる/幸福な朝!」(『砂漠のロバ』)。詩誌「野火」を主宰し、89年に74歳で逝った。
敏子将战后普通生活中的事情仔细的收集,歌唱人生的闪光点。[男人每天早晨/用剃须刀刮胡子/那个时候女人/用菜刀切菜/两个人都在用刀/却是感觉不到刀的/幸福的早晨!]([沙漠的驴])。主办了诗歌杂志[野火],89年与74岁去世。
やはり戦後の詩に独自の世界を築いた茨木のり子さんが、79歳で亡くなった。背筋がすっと伸びた潔い言葉の数々は、いつまでも生き続けるに違いない。
同样的战后用诗构筑独自的世界的茨木のり子,与79岁逝世了。那些正直纯洁的语言,无论到何时一定都会继续存在下去的。
茨木さんからはがきを頂いたことがある。終戦直後に流行した「リンゴの唄」の並木路子さんが01年に死去した時、茨木さんの「わたしが一番きれいだったとき/街々はがらがら崩れていって」という一節を記事に引用した。「あのメロディを聞く度に、戦後の混乱のさまざまがよぎってゆくのを覚えます」
曾经从茨木那里收到过明信片。战争刚刚结束时流行的[リンゴの唄]的並木路子01年去世的时候,茨木さん引用了这样一段话[在我最美丽的时候/街道纷纷崩倒],[听到那段旋律的时候,感觉可以让我超越那战后的种种纷乱。]
茨木さんは、ようやく訪れた青春の中で聞いたのだろう。そのころ敏子さんは子育てに励み、その懐の内に喜佐さんが居た。
茨木大概是在渐渐到来的青春中听到的这首歌吧。那个时候敏子正在努力的养育孩子,她的怀中躺着喜佐。
posted on 2006-02-22 10:45
kentea 阅读(313)
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