新橋、京橋、数寄屋橋…「橋」といっても、川や掘割はない。東京では多くが戦後の高度成長期に埋め立てられ、姿を消した
新橋、京橋、数寄屋橋…虽说是‘桥’,但并没有河也没有沟渠。在东京有许多都是在战后的高度成长期时填埋然后消失的。
「大正というのは、東京にまだ水があった時代ですね」。30年ほど前に発行された『大正および大正人』という雑誌の座談会で、挿絵画家の風間完さん(大正8年生まれ)が語っている
“大正的时候,东京还是有水的时代呢”。在30年前左右发行的《大正和大正人》这本杂志的座谈会上,插画画家風間完先生(大正8年出生)这样说。
明治と昭和が激動の大河であるならば、モダンで伸びやかな“大正浪漫”には、街の灯を映す東京の川を思わせるところがある。明治から大正に年号が改まったのは1912年の7月30日、今年は改元から満100年を迎える
明治和昭和若是动荡的大河,那么摩登而舒展的‘大正浪漫’,有时也会让人不由得想到辉映着街道上灯光的东京河流。年号从明治改为大正是在1912年7月30日,今年迎来了改年号满100周年了。
大正に生まれ合わせた子供は不幸だと思う――と、国文学者の池田弥三郎さん(大正3年生まれ)が同じ座談会で述べていた。「スペイン風邪に関東大震災、やがて兵隊にとられて…」。日本が敗戦の焦土から見事に立ち上がったのは、震災をはじめとする数々の苦難を肌で知る世代が、一家の父として母として奮闘してくれたおかげだろう
我认为恰恰生在大正时的孩子是不幸的——,这是国文学者池田弥三郎先生(大正3年出生)在同一场座谈会上这样说“西班牙感冒、关东大地震,接着被抓去当军人……”。日本从战败的焦土上漂亮的站起来是靠着那些亲身经历过震灾等无数苦难的一代,他们作为一家之主努力奋斗的功劳吧。
大正生まれの100歳も誕生する。喜びと悲しみをこもごも映した川の流れを知る人たちに、教えていただきたいことはたくさんある。
大正元年出生的人今年刚好100岁了。对于知道倒映着悲喜交集河流的人们而言,有许多东西都希望他们能告诉我们。
posted on 2012-01-14 22:20
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