「汽車を目の中に入れて走らせても痛くない」と書いた内田百閒(ひやっけん)ほどのマニアではなく、「墓は汽車の連結器の中につくってほしい」と書いた寺山修司ほどは旅情に敏感でもないが、思い出したように列車の旅に出る
我并不是写下了“即使将火车放到眼睛中跑,眼睛也不会痛”的内田百閒般是个火车迷,也并非是写下了“希望将墓碑造在火车的车钩中”的如寺山修司般对旅愁多愁善感的人,但我坐了一趟如回忆般的火车之旅。
上面第二句话的全文可以参考:http://suzuko.cocolog-nifty.com/suzumemo/cat3595744/index.html
街がいつしか田んぼになり、海岸になり、読書の目を休める車窓の風景が愉(たの)しい。唱歌「汽車」の一節「廻(まわ)り燈籠(どうろう)の 画(え)の様(よう)に/変る景色のおもしろさ」である
不知不觉中街道换成了稻田,海岸,使读书的眼睛休息一下的车窗外的风景让人心情愉悦。那是歌曲‘火车’中的一段“周围的灯笼 如画一般/那是变换风景的趣味”。
その歌詞もやがては遠く去りゆくさだめかも知れない。JR東海は東京―名古屋間を40分で結ぶ中央新幹線(リニアモーターカー)の2025年開業を目指している。全体の80%が地下を走るモグラ型の超特急に「廻り燈籠」の面白さは無縁だろう
那歌词也许也是很快就消失的命运吧。JR东海的目标是在2025年开通40分钟就能连结东京到名古屋的中央新干线。由于80%左右是在地下行驶的鼹鼠型特快车,因而与‘周围灯笼’的趣味是无缘的吧。
皆が便利になり、経済効果も大きい新技術にわが身ひとつの旅情で水を差すわけにはいかないが、「旅は愉しくなりますか」と、水の一滴分ぐらいは疑問を呈しても罰はあたるまい
对于对大家都很便利,经济效果也很大的新技术并不是以我个人的旅情去浇冷水,即使呈上一滴水般的‘旅途愉快吗’的疑问,给予责罚也是不恰当的。
先日、寝台特急「はやぶさ」で熊本に旅した。東京から片道18時間の折々、幾度か脳裏に浮かんだ石川啄木の歌を、もう一滴として添える。〈雨に濡(ぬ)れし 夜汽車の窓に/映りたる/山間(やまあい)の町のともしびの色〉
前几天我乘坐了卧铺‘隼’去熊本旅行。从东京单程18小时左右,脑海中数次浮现出石川啄木的歌曲,再添上一句“被雨濡湿 倒映在夜晚火车的窗上/山谷之城的灯火”。
posted on 2008-04-15 23:13
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