
2007年8月10日
平和祈念像の青い筋肉の上を雲がゆっくり流れる。あの日と同じ南の風だ。正林克記(まさばやし・かつき)さん(68)は62年前、その風の中でセミ捕りをしていて、白い光と爆風を浴びた。「お父さん助けて」。腹に竹が突き刺さり、思わず戦死した父を呼んだ。背中の妹は「お母さん」と小さく震えた。
きのうの長崎原爆忌で、正林さんは「平和への誓い」を読み上げた。「立場や都合で原爆投下を正当化してはならない」。クマゼミの合唱を超える声だった。
正林さんたちの夏を引き裂いたB29のスウィーニー機長は、直後の9月、長崎に入り、廃虚の爆心地から青空を見上げる。この時の心境を回想録で「後悔も罪悪感もなかった」と記した。罪悪感を抱くべきは日本の指導者たちだと。
機長はカトリック信者だった。日本有数の信者の街、浦上を全滅させたと知る由もない。二つの原爆が戦争を終わらせたという「落とした側の論理」を貫き、04年、84歳で逝った。
彼らの第1目標だった小倉は、近くの空襲の残煙で目視がきかなかった。投下に3回挑んで燃料を費やし、第2目標の長崎に賭けることになった。曇天だったが、その時だけ一瞬、雲が切れたという。
ヒロシマから74時間47分。いくつもの必然と偶然が産み落とした二つ目は、機長に勲章を、真下の7万4000人には死をもたらした。幾多の残酷な出会いを「しょうがない」の言葉でくくった防衛相は去り、与党は民意の報いを受けた。被爆者の悲願、核廃絶への道は険しい。「目を覚ませ」と南風に言わせ、また夏がゆく。
posted @ 2007-08-10 07:46 丁丁虫 阅读(228) | 评论 (0) | 编辑 收藏

2007年8月9日
近ごろの漫才には、「もうええわ」という言葉が頻発するそうだ。2人が掛け合い、話がかみ合わないと「もうええわ」。捨てぜりふを放って打ち切る。ここで客席はどっと笑うのだろう。
こちらは笑ってもいられない。長野県に公共事業を評価監視する委員会がある。煙たい意見を述べる委員らに、県は「もう結構」とばかり、任期半ばで辞職を勧告したという。うち1人の有識者は、意思確認もないまま解任されてしまった。
長野は昨夏、「脱ダム」を掲げた前知事から、ダムを是とする現職に代わった。県側は否定するが、勧告された委員らは「邪魔者の一掃か」と不信を募らせている。行政と漫才は違う。異なる意見に根気よく耳を傾けるのが、治の王道ではなかったか。
「議論の必要なし、問答無用。こういう笑いに浸り続けるのは危険なことじゃないですかねえ」。落語の桂歌丸師匠が以前、本紙に意見を寄せていた。結びには「笑いに限った話ではありませんよ」。異質なものを排除しがちな時代への警鐘に、わが意を得たものだ。
似たことは、国政にもある。安倍首相肝いりの、集団的自衛権をめぐる懇談会もそうだろう。メンバー13人をぐるり見渡せば、行使の容認に前向きな人ばかりだ。世論を分かつ大テーマなのに、異なる声を聞く耳はないらしい。
論敵について、勝海舟が言ったそうだ。「敵がないと、事が出来ぬ。国家というものは、みンながワイワイ反対して、それでいいのだ」。おおらかさと懐の深さは、今は昔の無い物ねだりだろうか。
posted @ 2007-08-09 07:27 丁丁虫 阅读(144) | 评论 (0) | 编辑 收藏

2007年8月8日
年齢のサバを読むといえば、ふつうは実年齢より若く言うことだろう。だが漫画家の手塚治虫さんは、亡くなるまで実際より2歳年上だと信じられていた。
戦後すぐ、デビュー作の掲載が決まったとき、17歳だった。正直に年を言うと、若すぎて編集者を不安がらせるかも知れない。大人に見せようとサバを読んだ年齢が、そのまま流布したという説がある。
偉業に花を添える逸話と違って、どこか切ない「サバ読み」が、各地の自治体で発覚している。大学や短大を卒業したのに、高卒者の試験で採用されていた「学歴詐称」である。神戸市、大阪市などで相次ぎ、先日は横浜市でも分かった。免職や停職など、厳しい処分が下っている。
同情論もあるが、高卒者の就職機会を奪ったというとがめは、やむを得ないだろう。それよりも発覚した数である。大阪が約1000人、横浜は約700人というから、たまさかの不心得ではない。
大阪では、バブル崩壊後の就職氷河期に増えたという。この時期に社会に出た「さまよえる世代(ロストジェネレーション)」の、背に腹代えられぬ策だったのか。せっかく身に付けたものを捨てての身過ぎなら、暮らしは定まっても、喪失感があっただろう。
思い出すのは、〈まだ何もしてゐないのに時代といふ牙が優しくわれ噛(か)み殺す〉の歌だ。歌人の荻原裕幸さんが、25歳の閉塞(へいそく)感を詠んだ。時代という牙はいま、25歳から35歳の世代に、ひときわ苛烈(かれつ)に噛みついている。切ないサバ読みは、はざまの世代からの、秘(ひそ)かな異議申し立てだったかもしれない。
posted @ 2007-08-08 07:15 丁丁虫 阅读(150) | 评论 (0) | 编辑 收藏

2007年8月7日
「原爆の日」の朝、広島の街を通り雨がぬらした。平和記念公園の川べりを、千羽鶴を抱えた高校生が通る。献花をたずさえ、お年寄りが歩く。
投下された8時15分、原爆ドームの上空を仰いでみた。雲間にうっすらと青空がのぞく。「その時」を告げる鐘にあわせて、約600メートルの中空(なかぞら)で炸裂(さくれつ)する巨大な火の玉を思い描いた。現実なら、私は瞬時に消滅するだろう。容赦なく抹殺される我が身を思えば、心は冷える。
想像をめぐらしたのは、『原爆詩一八一人集』(コールサック社)という本を広島の書店で見つけたからだ。きのうが発行日である。栗原貞子「生ましめん哉(かな)」、原民喜(たみき)「コレガ人間ナノデス」。名高い原爆詩とともに、今の詩人の作品も多く収録している。
被爆体験者は少ない。想像力で言葉を紡いできた。戦後生まれの江口節さんの「朝顔」は、〈いつものようにその人は出かけた/いつものように汗を拭(ふ)きながら/いつもの空に/6000度ものまぶしいはなびらが開くなぞ/知るはずもなかった…〉。何十万の命に向けて炸裂した核兵器のむごさを突く。
時とともに被爆者は亡くなり、平均年齢は74歳を超えた。原爆の日以外は記念公園もひっそりする。風化なのだろう、広島市の小学生の5割は投下日時を知らない。原爆の惨をどう伝え継ぐか、模索が続いている。
広島・長崎を最初で最後にしなくてはならない。そんな思いが『一八一人集』にこもる。年内には英語版も出るという。被爆国の詩人の深い言葉が、世界の人々に響けばいい。
posted @ 2007-08-07 07:18 丁丁虫 阅读(136) | 评论 (0) | 编辑 收藏

2007年8月6日
松浦理英子さんの短編に『肥満体恐怖症』がある。巨体が苦手な女子学生が寮で肥満の先輩3人と同室になり、ねちねちいじめられる話だ。握った手を離さず先輩の一人が言う。「あなたさえ太ればこの部屋は肉の帝国となるのよ。美しいと思わない?」
米ハーバード大の研究チームが「肥満は伝染する」との説を発表した。肥満の友を持つ人が太る可能性は、そうでない場合より57%高いという。1万2000人の人間関係を32年追跡した結果だ。
兄弟姉妹や夫婦の共太りなら体質や食生活の仕業かと察しがつく。ところが、友人間の「感染力」は兄弟や夫婦間より強かった。研究チームは「親しい人が太っていると肥満への抵抗感が薄れる」とみる。
漫才の今いくよ・くるよ師匠のように、45年の親交にして見事に両極の体形を保つ例もある。でも、友人の膨らみに接しているうちに肥満の許容範囲が緩み、節制する気がなくなるという理屈は分かりやすい。
米国を旅した時の、甘湯につかるような心地よさを思い出す。歩く男も座る女も、こちらが肥満見習いに見える肥えようだ。目が合えば「なんだい細いね」と言われた気にもなる。バーガー屋のポテトは思わず、しかし迷わず「大」にした。
米国の成人は3割超が太りすぎという。170センチ/85キロを肥満としない甘い基準でこれだ。3人の仲間で1人は肥満という勘定。交わるたび、戯れるほどに互いの許容範囲は緩まり、津々浦々、皆がぷよぷよになる。こうして、安穏だが美しくない「肉の帝国」ができる。
posted @ 2007-08-06 07:17 丁丁虫 阅读(144) | 评论 (0) | 编辑 收藏
双葉山といえば戦前の大横綱である。前人未到の69連勝を果たした。ついに敗れたとき、館内は静まりかえった。しばらくして、我に返ったような怒号と喚声が渦巻いたという。
さすがの「不敗の代名詞」も緊張の糸が切れたのか、翌日、翌々日と連敗した。双葉山は後援者に「我、いまだ木鶏(もっけい)たりえず」と電報を打ったという。木鶏は、中国の故事で、最強の闘鶏のたとえ。木彫りの鶏さながらに、動じることなく勝負に臨む。無心の境地をあらわす言葉だ。
相撲は心、技、体だと言う。技と体はともかく、心はまだまだ。電報は、未熟を恥じる意味だったろう。土俵内外でのひたむきな姿勢で、双葉山は求道者(ぐどうしゃ)とも仰がれた。名横綱に比べるのは無粋だが、いまの朝青龍騒動に、古き良き伝説を懐かしむファンもいるだろう。
看板役の朝青龍のいない夏巡業は、きのう群馬県を皮切りに始まった。日本相撲協会は「おわび企画」として、急きょ力士の握手会を開いた。騒動は、横綱を甘やかしてきた協会の、大きなツケでもある。
戦後の大横綱だった大鵬について、名アナウンサー北出清五郎さんが回想している。当時の二所ノ関親方は、大鵬の素質を見込んで英才教育を施した。ほかの弟子とは違う特別扱いである。その一方で、とりわけ厳しく第一人者となるべき心構えを説いたそうだ。
大横綱がそびえ立ち、巨木を倒そうと下位の力士が精進を積む。過去の隆盛期には、きまって理想の形があった。真の巨木になれるのかどうか。ここが朝青龍の土俵際である。
posted @ 2007-08-06 07:16 丁丁虫 阅读(98) | 评论 (0) | 编辑 收藏
江戸城・大奥の礎を固めたのは3代将軍家光の乳母、春日局(かすがのつぼね)とされる。60半ばでの辞世は〈西に入る月を誘(いざな)ひ法(のり)をえて今日ぞ火宅を逃れけるかな〉。欲に満ちた火宅を春日局が仕切った17世紀前半、はるか西方では「イスラムの大奥」が栄華を極めていた。
オスマン帝国の都、イスタンブールの輝きを伝える「トプカプ宮殿の至宝展」が、東京・上野の都美術館で始まった(9月24日まで)。1000人もの女性が暮らしたハレム(後宮)の品々は、バラの香りに抱かれて並んでいる。
ハレム、またはハーレムと聞けば殿方は落ち着かないだろう。この言葉は、もっぱら一夫多妻の背徳を帯びて欧州に伝わり、世界に広まった。アングルの「トルコ風呂」(ルーブル美術館蔵)では、多くの裸婦が妖(あや)しく憩う。
現実のハレムは、世継ぎを争う場だった。奴隷市場から連れてこられた異教徒の美女たちが、作法や教養、歌舞を身につけ、君主スルタンの寵愛(ちょうあい)を競う。首尾よく男子を産めば、母后として国に君臨する道も開けた。
化粧箱、羽根うちわ、出産用のいす、ゆりかご。自分を飾り、勝ち残るための道具は華やかで、どこか悲しい。小型のうちわは、見知らぬ男との「会話」にも使われたという。例えば、頬(ほお)からずらせば「愛してる」になった。
ハレムが育んだ文化は、時が博物館へと押しやった。言葉には官能の澱(おり)だけが残された。大奥と同様、その名が風俗産業に多用されていることを知れば、往時の女性たちはうちわを左耳にあてるかもしれない。「ほっといて」と。
posted @ 2007-08-06 07:16 丁丁虫 阅读(111) | 评论 (0) | 编辑 收藏

2007年8月3日
冬の名曲もあるけれど、亡くなった作詞家の阿久悠さんは「8月の人」だろう。瀬戸内海の淡路島で終戦を迎え、8月15日をつねづね第二の誕生日だと語っていた。
その日の晴れ渡った空を、8歳の阿久さんは、特別の青として覚えていた。あんなに見事な青空は人生で数度の記憶しかない、と回想している(『生きっぱなしの記』)。この日を境に、封印されていたものが一斉に飛び出してきた。
流行歌であり、映画であり、野球だった。「民主主義の三色旗」と阿久さんは呼んだ。なかでも野球には、「神が降りてきた感じ」を受けたという。用具はなく、すべて手作り。毛糸を巻いたボールで熱中した日々は、のちに小説「瀬戸内少年野球団」となって実を結ぶ。
毎年、高校野球の8月を心待ちにした。「球児は甲子園という聖地への巡礼者」と言い、この二十数年、すべての試合を自宅で見た。この間、仕事は入れない。昼は丼ものしか食べなかった。画面から目を離さずに口に運べるからである。
「三色旗」のひとつの流行歌が、本業になった。「UFO」「勝手にしやがれ」「林檎(りんご)殺人事件」……。破天荒ともいえる表現を次々に繰り出した。秘話に類するのだろう、目指したのは「美空ひばりが歌いそうにない歌」だったという。ひばりとは同い年。畏怖(いふ)や意地など、ないまぜな思いがあったようだ。
だが彼女の死後は、それを悔やんだ。阿久さんは自著で、一番の心残りを「美空ひばりのために歴史的な詞を提供できなかったこと」とつづっている。
posted @ 2007-08-03 07:18 丁丁虫 阅读(151) | 评论 (0) | 编辑 收藏

2007年8月2日
毎年8月になると、大阪から1冊の本を送っていただく。庶民の戦争体験を集めたもので、『孫たちへの証言』と題がついている。この夏で区切りの20集目を数える。刷り上がったばかりの本が、今年も届いた。
手にとって項を繰る。玉砕の島サイパンから奇跡的に生きて帰った女性。学友の無残な遺体を防空壕(ごう)から運び出した男性。子ども6人を連れて厳寒の朝鮮から逃れた母親……。74編が収録されている。とつとつと飾らない文が、それゆえに、戦争の罪深さを訴えかける。
出版社を営む福山琢磨さん(73)が編集してきた。原稿は毎年募集する。収録候補を選び、電話や手紙で筆者に問い合わせて、手を入れていく。手間のかかる作業だが、損得抜きで、名もなき人々の苦難にこだわってきた。
大所高所からの歴史だけでは「戦争」は見えない。だが小さな物語を丹念に集めていけば、やがてはモザイク画のように実相が浮かぶ。そんな信念に支えられた。20年間の応募は1万3000を超え、収録は1599編にのぼる。「庶民の戦争史」と呼んで恥じない数だろう。
今年は100歳の人の原稿が初めて載った。震えがちな肉筆とともに、介護ヘルパーの聞き書きが同封されていた。「伝えたい」という執念を、福山さんは感じた。
体験者の高齢化は進み、4人に3人を戦後生まれが占める時代である。戦争をめぐる日本人の記憶の泉から、わずかに残る水をくみ上げて、「記録」にとどめる。涸(か)れる前に一滴でも多くをと、応募のある限り刊行を続けるそうだ。
posted @ 2007-08-02 07:21 丁丁虫 阅读(145) | 评论 (0) | 编辑 收藏

2007年8月1日
どうっと吹いた風が、自民党という森の木々をなぎ倒していった。累々たる倒木。聞こえてくるのは、首相や閣僚たちへの恨み節だ。「一票」が猛威をふるった7月の言葉から。
東京で3選をめざした自民の保坂三蔵氏は、あえなく6位に沈んだ。「年金問題、政治とカネ、閣僚の失言など暴風雨のなか、演説の大半をおわびや経過報告に割かれた」。本論で勝負できなかった、と悔しさをにじませる。
農村でも逆風が吹いた。新顔が大敗した山形で、運動中に応援に歩いた衆院議員は、支持者の突き上げを食った。「大臣の失言、なんだべ」「松岡(農水相)の後は、ばんそうこう張った男か。安倍さんには学習してもらわねえと」
落選したほかの陣営も悲鳴を上げた。「年金だけならいいが、余計なものがどんどん出てくる」(青森)。「オウンゴールが4点ぐらいだ」(千葉)。足を引っ張った代表格の赤城農水相は選挙翌日、「…………」。終始無言で登庁した。
惨敗を尻目に、首相は続投を表明した。派閥のボスらが即刻承知したのを、作家の辻井喬さんは嘆く。「子分を一人でも多く閣僚にしようという計算で、自民党全体のことなんて考えていない。まして国家の将来なんて頭の片隅にもない」
追い風は民主党に吹いた。比例区の最後に滑り込んだ山本孝史氏は、進行がんと闘う。「天から『あなたの出番を作りましたよ』と言われた気がする。6年は無理かもしれないが、命ある限り仕事をしたい」。弱い人たちへの優しさを、自らに課す。
posted @ 2007-08-01 07:15 丁丁虫 阅读(192) | 评论 (0) | 编辑 收藏
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