新聞社などの世論調査は、すべての有権者が同じ確率で当たるくじのような方法で回答者を選ぶ。いざ質問という時に「宝くじはさっぱりなのに」とぼやかれることもある。これより不人気と思われるPTA役員などは、断りにくい輪番制になっていたりする。
さて、2年後に登場する裁判員も、貧乏くじになるのだろうか。市民が刑事裁判に参加するといえば聞こえはいいが、どれほど厄介な仕事が、どんな頻度で回ってくるのか、気になる方も多かろう。
裁判員は何度かの抽選と面接などで選ぶ。一つの事件につき原則6人で、最近の事件数から試算すると毎年3500人に1人が「当たる」らしい。事件が多い千葉県では、少ない秋田県より4倍も選ばれやすい。
このほど東京地裁で3日間の模擬裁判があった。協力した会社員は「体力的には1週間でも可能と思う。仕事の都合さえつけば」と語った。多かれ少なかれ、私的な日程への影響は避けられない。辞退できるのは、人に代われぬ重要な仕事がある場合などに限られる。
つい辞退「できる」と腰が引けるのは、お国に時間を制約されることがめったにないからだろう。8割が消極的という調査もある。だが、こう考えてみたい。裁判員とは、被害者にも加害者にもならず、司法試験も通らずに、法廷の深奥を体験できる権利だと。
私たちの見聞や交際範囲は意外に狭い。生き方を異にする、見ず知らずの人たちとの共同作業は、自分の常識をほぐす機会にもなるはずだ。なかなかの当たりくじではないか。
posted on 2007-06-05 07:17
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