第2問 次の文章は堀辰雄(たつお)の小説『鼠』(ねずみ)の全文である。これを読んで,後の問い
(問1~6)に答えよ。(配点50)
彼らは鼠のように遊んだ。
彼らはある空き家の物置小屋の中に,どこから見つけてきたのか,数枚の古畳を運んできて,それを一枚一枚天井の梁(はり)の上に敷きつめた。するとそのおかげで,そこには-天井と梁との空間には,一種の部屋のようなものができあがった。それは秘密好きな子どもらが誰(だれ)にも見つからずに遊ぶためには屈竟(くつきよう)(注1)な場所だった。その隠れ場はしかし黴(かび)のにおいがした。
そこは,一日中,うす暗かった。そのために,彼らは真昼間でも,夢の中でのようにそこで遊ぶことができた。彼らはみんな十ぐらいの男の子ばかりだった。彼らは学校がすむと,いったんは家へかえり,それからすぐまた出直してくるのであったが,それはカバンと草履(ぞうり)との代わりに,めいめい家から何か遊び道具を持ち出してくるためだった。彼らのあるものはこっそりと父親の煙草(たばこ)を盗んできた。そうすると一本の巻き煙草が二,三人によってかわるがわるに吹かされるのであった。そうして,ある日のことだった。誰だか,石膏(せっこう)の女の人形(それは石膏のヴィナス(注2)であった!)を家から盗んできたものがあった。最初のうちは,何か異様な,そして秘密なものででもあるかのように,そっと次から次へと手渡しされていたが,しまいには,もう一度それを手で触って見ようとする者どうしが,奪い合いをはじめて,とうとうその手足をバラバラにもいでしまった。そうしてから,彼らはくすくすと音を立てずに笑った。-しかし,そういうばか騒ぎの間でも,彼らは決して喧(やかま)しい物音を立てなかった。もし誰かが大声でわめきでもしたら,すぐその者は規則違反者として罰せられたに相違ない。それほど彼らの遊戯の秘密は厳重に守られていたのだ。彼らは
Aそういう規則が,詩人を刺激する韻(ライム)の法則(注3)のように,彼らの遊戯を一そう面白くすることを知っていたからだ。
彼らはそこで,毎日,鼠のように遊んでいた。
ところが,その物置小屋の中に,
B一大事件がもちあがった。
というのは,その天井裏に,石膏のお化けが出るという噂(うわさ)が,誰の口からともなく,ひろがり出したのである。
ある夕方,彼らの一人が,みんなの帰って行ってしまった後も,そこにまだ,一人きりで残っていた。彼は,何気なく畳の上にちらばっている,いつかの石膏のバラバラになった手足を,暗がりの中に手さぐりしながら,かき集めた。そしてそれらを接ぎ合わせて,どうにかこうにか原型に近いものにすることができた。見ると,あと足りないのは,ただ女の首だけだった。そこで彼はそれを捜すためにマッチに火をつけた。そして何本も何本もそれを無駄にした。だが,その石膏の首は,その畳の上にはどこにも見あたらなかった。とうとうしまいには,彼もあきらめて,火のついたマッチを手にしたまま,畳の上からひょいと顔を持ちあげた。と同時に,彼は思わずあっと叫んだ。彼の手にしていたマッチのかすかな光が,彼の前の虚空に,彼の捜していた石膏の首を(しかもそれは人間の生首の大きさぐらいあった!)白くぼやっと照らしたのである。そこで彼はびっくりしてそこを逃げ出してきたというのであった。
子どもたちの心の中で,その石膏のお化けに対する好奇心と恐怖とが戦った。そして彼らの好奇心がようやく彼らの恐怖に打ち勝った者が数人あった。そのものは一かたまりになって,物置小屋の中にはいって行った。だが,天井裏によじのぼって,黴のにおいのする古畳の上に,いくつも,石膏の手や足がバラバラにころがっているのを見ただけで,なんとなくうす気味わるくなって,誰がいいだすともなく,わあっといって梁から降り,小屋の外へ飛び出して来てしまった。
そのようにして,彼らは,その数か月間の隠れ場を見棄(みす)てなければならなかった。
しかし彼らはすぐ,それの代わりになるものを見つけた。
彼らは,以前,物置小屋の天井裏に絶好の隠れ場を見つけたのと同様の
(ア)「
よい嗅覚(きゅうかく)」をもって,今度はそれをあるお寺の床(ゆか)の下に見つけたのだ。彼らはその床の下に,これはまたどこから盗んできたのか,数枚のアンペラ(注4)を運び込んだ。そしてそこで彼らは土竜(もぐら)のような遊びを始めた。そこは物置の中とは比べものにならないくらいに涼しかった。ちょうど季節がこれから夏に向かおうとしていたので,彼らはこの新しい隠れ場の冷え冷えとしているのを,何よりも好んだ。しかし,ここはあんまり暗くて,あんまりジメジメしているので,ときどき彼らは自分たちが悪夢を見ているのではないかとさえ疑った。そして彼らはひそかに,昔の天井裏の生活にあこがれた。
ところが,ここに大胆にも,全く一人きりで,誰にも,もちろん仲間の者にも,気づかれずにその天井裏に上っていって,昔のままの鼠のような生活を続けていた,一人の少年があったのである。
それは最近に母をうしなったばかりの少年であった。彼はそのことを非常に悲しんでいた。ときどき彼は涙の発作に襲われた。だが,この少年の
(イ)驚くべき自尊心は,そういう彼の涙を他人に見られるのをひどく厭(いや)がった。そこで,彼は,どうしたらそういう発作の時に完全に一人でいられるかとしきりに工夫をした。
彼は物置小屋の中の薄明が好きだった。彼はときどき,この薄明の中で,友人たちに気づかれないように,こっそりと泣いた。この種の隠れ場で泣くのは彼には生理的に快くさえあった。彼は泣きながら,彼を取り巻いている友人たちが,一人もいないような場合を想像することがあった。突然,それが彼に大胆な計画を思いつかせた。
石膏のお化けは,実は,この少年のつくりごとに過ぎなかったのである。そして彼は彼の計画に成功した。その結果,畳の上にころがっている,石膏のバラバラになった手足を恐(こわ)がらずに,天井裏の部屋に上って行ける者は,彼一人だけになった。-しかし彼のそういう大胆さは,超自然的なものに対するそれではなしに,つまり,自分の友だちをだましたところにあったというべきだ。
ある日のことだった。彼は,その彼だけのものになった隠れ場で
(ウ)さめざめと泣きあかした後,どうしても自分の家に帰る気がしなかったので,そのままそこに横になっていた。いつしか夜になった。彼は空腹を感じだした。それでも彼はそこを立ち上がろうとしなかった。
彼は,彼の母が死んでから,急に自分に対してやさしくなった父のことを思い浮かべた。こんなに遅くまで帰らない自分のことを,父はきっと心配して,夕飯も食べずに待っているだろう。だが,それも,彼をそこから起き上がらせるには十分でなかった。何かふしぎな力が彼をそこにしばりつけているかのようであった。
そのうちに,彼はうとうとしだした。彼は自分が夢を見だしているのに気づいた。それとほとんど同時に,彼はあたかも夢遊病者のように,無意識的に,彼のまわりにころがっている石膏の破片をよせ集め,そしてそれを接ぎ合わせはじめていた。正確にいうと,そんなことをしだしたのが彼を夢現(ゆめうつつ)にさせてしまったのか,あるいはその中で自分がそんなことをしている夢を見だしたのか,どちらだか彼にはよく分からなかった。それにもかかわらず,彼のふしぎな仕事はずんずん進行していった。そして,そこに,ほとんど元のままの石膏のヴィナスができ上がった。ただ,それにはヴィナスの首だけが欠けていた。彼はそれを捜すために何本かのマッチをすった。その挙句(あげく),彼は,彼の目の前の虚空に,人間大の石膏の女の顔を,彼のつくりごとの中でと同じように,認めた。
Cいまや,現実が(あるいは夢が)彼のつくりごとをそっくりそのまま模倣しだしているらしいのである。ただ,現実あるいは夢が彼のつくりごと以上であったことは,意外にも,その石膏の女の顔が,彼の死んだ母の顔にそっくりであったことだ。何物かそれを彼の母であると彼に固く信じさせたものがあった。そのため,彼は彼の心の恐怖をおもてに現すまいと一生懸命に努力した。-その瞬間,彼の母の顔はやさしく微笑(ほほえ)んだように見えた。それから彼女は急に彼の上にのしかかるようにしながら,彼の唇の上にそっと接吻(せつぷん)をした。彼はその接吻が気味わるくひやりとするだろうと思っていたのに,その唇はまるで生きているように温かかった。-次の瞬間,
D彼は愛情と恐怖とのへんな具合に混ぎり合った,世にもふしぎな恍惚(エクスタシイ)を感じだしていた。
(注)
1 屈竟 - きわめて都合のよいこと。
2 ヴィナス - ローマ神話で,愛と美の女神。
3 韻(ライム)の法則 -ライム とは,西洋詩の技法の一つ。詩の行の終わりで同じ音を繰り返す規則のこと。
4 アンペラ - ここでは,敷物にする筵(むしろ)のこと。
問1 傍線部(ア)~(ウ)の語句は本文中でどのような意味に使われているか。最も適当なものを,次の各群の

~

のうちから,それぞれ一つずつ選べ。解答番号は

~

。
(ア) よい嗅覚(きゅうかく)
 |
超自然的なものに対するすぐれた感受性 |
 |
動物のような鋭い直感 |
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群れを作るものに特有の防衛本能 |
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弱者が身を守るためのすばやい反応 |
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子どもらしい柔軟な発想 |
(イ) 驚くべき自尊心
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異常な羞恥心(しゅうちしん) |
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他人を寄せつけないほどの独立心 |
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子どもとは思えないような自制心 |
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度がすぎた自己愛 |
 |
人並はずれた気位 |
(ウ) さめざめと
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われを忘れるほどとり乱して |
 |
涙をこらえてひっそりと |
 |
気のすむまで涙を流して |
 |
いつまでもぐずぐずと |
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他人を気にせず大きな声で |
問2 傍線部
A「そういう規則が,詩人を刺激する韻(ライム)の法則のように,彼らの遊戯を一そう面白くする」とあるが,それはどういうことか。その説明として最も適当なものを,次の

~

のうちから一つ選べ。解答番号は

。
 |
詩が詩であるために必要な韻の法則が詩人の詩心を刺激するように,遊びを遊びらしくする法則に従って行動することが,遊びをより面白くするということ。 |
 |
巧みに秘められた韻の法則が詩人の詩心を刺激するように,遊びの約束ごとを他人に知られないようにすることが,遊びをより面白くするということ。 |
 |
日常の言遣いとはかけ離れている韻の法則が詩人の詩心を刺激するように,遊び場に特有の子どもらしい約束ごとが,遊びをより面白くするということ。 |
 |
言葉の自由な選択を制約する韻の法則が詩人の詩心を刺激するように,約束ごとを守ることによってもたらされる緊張が,遊びをより面白くするということ。 |
 |
静かな音楽性を尊ぶ韻の法則が詩人の詩心を刺激するように,大きな声で騒いだり,やかましい音を立てたりするのを禁じることが,選びをより面白くするということ。 |
問3 傍線部
B「一大事件がもちあがった」とあるが,次のア~オはそれぞれ「一大事件」の前後のできごとを述べたものである。それらのできごとを時間の経過にそって整理するとしたら,どのような順序になるか。最も適当なものを,次の

~

のうちから一つ選べ。解答番号は

。
| ア |
子どもたちの一人だけは,お化けのことを怖がらずにほかの友人たちが行かなくなった天井裏の秘密の遊び場に行き,鼠のような生活を続ける。 |
| イ |
子どもたちの一人が,家から石膏で造られた女の像を秘密の遊び場に持ってきたが,みんなでそれを奪い合い,ついにこわしてしまう。 |
| ウ |
子どもたちの一人が,ひとりで天井裏の遊び場に残っていたとき,何もないはずの空間に人間大の石膏の女の顔を見たことを話す。 |
| エ |
子どもたちの一人は,母をうしなった悲しみから友人たちにかくれて泣いていたが,だれにも気がつかれずひとりで思い切り泣ける場所を確保する計画を思い立つ。 |
| オ |
子どもたちの何人かが,天井裏の秘密の遊び場で手や足がバラバラになった石膏の女の像を見てうす気味わるく感じ,あわててそこを飛び出す。 |
 |
イ-ウ-ア-エ-オ |
 |
イ-エ-ウ-オ-ア |
 |
イ-オ-ウ-エ-ア |
 |
エ-イ-オ-ア-ウ |
 |
エ-ウ-イ-オ-ア |
 |
エ-オ-イ-ア-ウ |
問4 傍線部
C「いまや,現実が(あるいは夢が)彼のつくりごとをそっくりそのまま模倣しだしているらしいのである」とあるが,この場面の説明として最も適当なものを,次の

~

のうちから一つ選べ。解答番号は

。
 |
バラバラになった石膏像を組み立てはじめると,しだいに現実感が遠のき,自分のつくりごとどおりの情景が夢のなかにあらわれていた。 |
 |
バラバラになった石膏像の破片を組み立てていると,何かふしぎな力がはたらき,母が死んだ時の悲しみがこみ上げ,やがて人形の顔に母の面影がかさなりはじめた。 |
 |
超自然的な力が少年にはたらき,無意識のうちにバラバラになった石膏像を組み立てさせたが,できあがったものは彼のつくりごとであったお化けと顔つきまでそっくりであった。 |
 |
つくりごとをとり繕(つくろ)うために,少年はバラバラになった石膏像を組み立てたが,できあがった石膏の女の顔は,思慕のあまり母そっくりになっていった。 |
 |
夢現(ゆめうつつ)のうちにバラバラになった石膏像を組み立てはじめると,そこにないはずのヴィナスの顔まであらわれてきたが,それはかつて友だちに言ったつくりごとの再現のようであった。 |
問5 傍線部
D「彼は愛情と恐怖とのへんな具合に混ざり合った,世にもふしぎな恍惚(エクスタシイ)を感じだしていた」とあるが,このときの少年の心の動きの説明として最も適当なものを,次の

~

のうちから一つ選べ。解答番号は

。
 |
死んだ母と接吻するという異様なできごとに遭遇し,少年はいいしれぬ恐怖感におそわれると同時に,母のいたわりを感じて愛情がとめどなくあふれてきた。 |
 |
石膏の女と唇をかさねるという奇妙な体験の中で恐怖を感じながらも,少年の心に生前の母のやさしさや愛情がよみがえり,少年はなつかしさのあまりうっとりとなった。 |
 |
少年は自分のつくりごとをこえた事態の展開に恐怖感をいだきつつも,そこに出現した母の唇のぬくもりに愛情をよびさまされ,官能をともなった喜びにわれをわすれた。 |
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死んだ母がのりうつったような石膏の人形と接吻したとき,意外にも恐怖感は消えさり,少年はそこに血の通ったあたたかさとたとえようのない興奮を覚えた。 |
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少年には死んだ母が生きているように感じられ,死者に対する恐怖感をいだきつつも母と再会できたことに喜びを感じ,そう固く信じさせてくれた超自然の力に驚き感動した。 |
問6 本文の内容と表現の特徴を説明したものとして
適当でないものを,次の

~

のうちから一つ選べ。解答番号は

。
 |
亡くなった母を思慕する少年が悲しみの果てに体験したふしぎなできごとが,物置小屋の中で起こった「事件」をはじめとする怪談めいたエピソードを織り込みながら,幻想的に描かれている。 |
 |
大人の目の届かない陰の空間を探しあてたり,ルールに従って秘密の遊びに興じたりする少年たちの姿が,「鼠」や「土竜」といった比喩(ひゆ)を用いることによって巧みに描かれている。 |
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隠れ場で起こった「事件」によってひきおこされた少年たちの恐怖心や,亡くなった母を慕い続ける一人の少年の繊細な心理が,当事者から少し離れた立場にたって描かれている。 |
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母を亡くした主人公の少年が一人で隠れ場にこもっているうちに,しだいに母への思いを強めていくようすが,できごとの起こった順序ではなく,彼の心の動きに即して,内省的に描かれている。 |
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前半部では屋根裏や床下で遊ぶ少年たちの姿がいきいきと表現され,後半部では友だちからはなれ亡くなった母を慕う少年の甘美な陶酔が,なまなましい感覚を通して描かれている。 |
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問12 |
問13 |
問14 |
| 正解 |
2 |
5 |
3 |
| 配点 |
4 |
4 |
4 |
| |
問15 |
問16 |
問17 |
| 正解 |
4 |
2 |
5 |
| 配点 |
7 |
7 |
8 |
| |
問18 |
問19 |
- |
| 正解 |
3 |
4 |
- |
| 配点 |
8 |
8 |
- |