大家好,我是pretty老师,欢迎大家在国庆之际继续参加我们的节目哦,闲下来的时候,不妨看看我们今天的天声人语有说些什么感人肺腑的故事呢。好,下面进入背景介绍:
沖縄戦は1945年の3月下旬から8月までの戦いをいう。
1944年10月10日、沖縄戦の前哨戦 として10.10空襲があった。 この空襲で旧那覇市街の90%が焼失する。旧那覇市内の養蚕試験場にあった司令部も焼け 、首里城の地下に司令部壕が掘られる事になる。その壕を掘ったのが学徒達であった。
米
軍の上陸地点からこの首里城の司令部までの首里以北を中部戦線と呼び、司令部が首里陥落を目前に
南部に撤退したため、多くの住民が戦闘に巻き込まれてしまった、首里以南の戦いを南部戦線と呼んでいる。 ひめゆりの悲劇もこの南部地域で起きた。
ひめゆり学徒は何度も映画化され有名なためこの南部地域こそが沖縄戦の主戦場であったと思われている
ことが多い。しかし南部戦線は米軍にとっては敗残兵狩りに等しい戦いであり、
米軍の上陸地点から首里城までの中部地域こそが日米が死力を尽くして戦った沖縄戦の主戦場である。
米軍は上陸地点である北谷から首里城まで
の10キロを進むのに50日間かかっている。沖縄守備軍はこの間10万人の内7万4千人(主戦力のほぼ7割)の兵力を失っている。日本兵の死者は1日あた
り千人以上にもなる、太平洋戦争もっとも激しい戦いといわれるゆえんである。
正文:
ざわわ ざわわ……と繰り返す「さとうきび畑」は、好きな曲だ。沖縄の悲しみを、情感を込めて歌う。だが以前から、少し気になっていたところがある。〈むかし 海の向こうからいくさがやってきた〉のくだりである。
撒啦啦、撒啦啦……,反复这种旋律的《甘蔗田》是我很喜欢的曲子。包含着冲绳的悲伤、情感来歌唱。但是,我却有一个不能释怀的地方。这就是“很久以前,从海对面传来了战争”的一节。
戦争は、海に生まれた台風ではない。「鉄の暴風」と言われる沖縄戦の悲劇は、自然の営みではなく、人間の愚かな営みの果てに起きた。「いくさがやってきた」が呼び起こすイメージは、美しすぎはしないか。やって来たのは、武器を携えた「日米の軍隊」だったのだから。
战争并不是源于海上的台风。被喻为“铁之风暴“的冲绳之战的悲剧,并不是自然的行为,它的发生是人类的愚蠢行为的结果。“战争来了”给人的印象,难道不是太美化了吗?。因为来的是带着武器的“日美军队”。
日本軍は住民を避難させず、戦いにも駆り出した。軍民混在の戦場は、「ありったけの地獄を集めた」(米軍報告書)と形容された惨状を生む。集団死(自決)も各地で起きた。軍の強制があったことは沖縄では常識である。
日本军队不允许居民避难,驱赶他们也去参加战争。军民混合的战场产生被(美军报告书)形容为“聚集了所有的地狱”的惨状。集团死亡发生在各地。强制参军在冲绳是常识。
その記述が教科書から消されることに、沖縄は怒った。抗議の県民大会は11万人でうねった。「分厚い教科書の中のたった一文、たった一言かもしれません。しかし、その中には失われた多くの尊い命があります」。高校生、照屋奈津美さんの訴えが胸を突く。
认真翻译此段,奖励沪元。
大学に進んで、日本史の教師になりたいという。醜くても真実を教科書にとどめ、沖縄の痛みを共有してほしい。そんな願いを込めた、本土への呼びかけでもあっただろう。
据说她想进入大学,当日本历史的老师。我希望即便是丑陋也将事实保留在教科书上,让我们共同拥有冲绳的悲痛。对于本土的呼唤中也包含了这种愿望吧。
ざわわ……は、詞と旋律が深い悲しみをたたえ、それゆえに人を癒やす不思議な歌だ。その癒やしの花が、「ありったけの地獄」に根ざしていることは、知っておきたい。島の悲しみが、容易には消えないことも。
撒啦啦……,词和旋律充满了深深的悲伤,因此它也是可以医治人的一首不不可思议的歌。希望大家知道这朵治疗之花已扎根于“所有的地狱”。也希望大家了解,冲绳岛的悲伤是不会容易地消失的。
posted on 2007-10-03 08:48
prettylj 阅读(29)
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