量や程度を表すたるにいろいろな単位がある。どんなに大きなものでも数字や単位で示すことができる。ところが、日本で一年間で消費されるビールの量が710万キロリットルだと書いてあっても、どれくらい多いのかすぐに納得する人は少ないだろう。要するに、数として頭では理解できても、桁が多くなると、単なる数字の塊にしか見えなくなるということである。
そんな時には、平均して「一人当たり56リットル」と書けば、少しは実感できるようになる。しかし、全体を実感するには、だれにもなじみがあるものに置き換えて示すのがいい。例えば、「東京ドーム5.7杯分」と書けば、「ああ、そんなに多いのか」と納得がいくわけだ。
数を実感するということは、その数の意味を実感することでもある。例えば、大企業の場合には一年間に消費される紙の量は、それを積み重ねると富士山の3倍近くになると知れば、多さを実感するとともに、資源節約の必要性についても頭が刺激される。
さて、学校で人類の直接の祖先の誕生はおよそ20万年前~10万年前だと学ぶ。しかし、あまりに昔のことなのでぴんと来ない。人間の寿命は100年にも満たないのだから、万の単位を実感しろというのは無理な話しだ。時は目には見えないが、カレンダーによって私たちは一日、一か月、一年という単位を意識しながら生活している。そこで、実感するために地球の歴史、46億年を一年の長さに縮小した「地球カレンダー」を作ってみる。すると人類の歴史も違って見えてくる。実感するのは程度の大きさばkりではない。
1月1日が地球の誕生日だとすると、人類の祖先が誕生したのは12月31日、夜11時半を回ったころである。人類の誕生ははるか昔の出来事だと思っていたが、その歴史も地球の歴史に比べればなんと短いことか。
こうして何か身近なものに置き換えてみることで、数が実感できるようになると同時に、その数の意味、すなわちことの重大性やはかなさも感じ取ることができるわけだが、置き換えるものを身近な「共同体」にすると、先の二つの例とはまた違った実感の仕方ができる。例えば、日本の失業率が5%に達したことを、「100人のうち5人が仕事がない」と言えば少し実感がわくが、それでも、まだ数字の世界の事のような気がする。そこで「今、この教室にいる20人のうち1人が仕事がない」としてみると、5%がもつ意味をより深く考えさせられるのではないか。
近年「世界がもし100人の村だったら」という見方がブームになったが、結局人々を引きつけた理由というのは、実感だったのではないだろうか。
posted on 2008-07-22 11:28
rrsyuu 阅读(113)
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