マグニチュード7.8の大地震が四川を襲ったニュースが連日のようにマスメディアのトップを覆っている。政府やマスコミの対応の早さに国際社会からも高い評価が得られた一方、外からの人的支援を躊躇するような、ミャンマー軍事政権と比較しながらどこか似ているかのような意地悪そうな書き方を、日本の大新聞が冷ややかに書いている。
30年以上前の唐山大地震以降施行された建物の耐震設計が、経済発展を優先する地方では疎かにされたとの指摘、被災地の瓦礫の山と化けた建物の写真を見れば誰もが納得するだろう。発展に遅れた山間部にもなればコンクリート造すらできない日干しレンガの民家や校舎が、強い地震波の一撃にも耐えられない。大きな震災がその国や社会の問題点をあぶり出すのだという論点が言えていると思う。自然が震源地を選ばない公平さが人間社会の不公平さを暴露させたという辛口評論にも、悔しいながら認めるべきだと思う。
震災地のビルが崩壊した写真、悪夢と言わずになんだろうと。建築をやっている人間から見て、あれは目を覆いたくなるような地獄絵だ。恥ずかしい。あの壊れ方が耐震設計がやっていないとしか思えないのだ。唐山地震時の壊れ方と変わらないじゃないか。30年間何をしてきたと目を疑いたくなる。おから工事という一言で片付けてはなるまい、施工品質のみならず設計品質や行政監視体制を含めた建物耐震安全保障制度の総点検を一刻も早く開始を急ぐべきだ。
テレビが全国各地から震災支援に奔走する人たちの姿を映し出し感動の渦巻きを伝えるのはいいが、一時的な情熱に浸るだけでは建物の安全-->人命尊重という好循環へは繋がらない。同じ失敗を繰り返さないことが亡くなった人たちへの最善の供養だと、私はそう考えている。
posted @ 2008-05-16 00:00
say 阅读(902)
评论(5) 编辑 收藏 所属分类:
心情日记 网摘收藏