北京五輪が世界中の拍手を浴びて幕を下ろした。口パクや開会式の花火映像など、一部批判されてはいたが、華やかさとパワー全開の前では無視同然だ。
前週、後半を共にしてくれた友人の一人が北京を離れることになり、深夜まで一緒に飲んで歌った。そう思えば、その前の週に、部門の解散パーティが北京郊外にある閑静なホテルに、全員泊まり掛けて行なった。
酒の文化もどこかアジア的で、「腹を割って話す」チャンスだと誰もが心得ていた。しかしヘッベレケまでなって醜態を暴くと望みが裏目に出るというリスクも伴うから、適当に飲んで歌い、踊り、これからの肝心なことを頼めそうな「リンダオー」のそばに寄ってこっそり耳に挟ませる。目を凝らしたら周りの若者は揃ってそうやっているのではないか。いい年して若いやつに負けて堪るか~~と、とうとう堪りかねて長い間に溜まってきたモノを涙と一緒に噴出した。
この何年間、「体制」の「凄み」を体で以って体験した。オリンピックだから万国共通の「科学的」やり方に沿ってやろう、古い体制を改善し開催後、国の新しいビジネスモデルとして世に出そう。。。改善の案を出したらば、みな跡形もなく崩れた。結局スローガンがプロパガンダのままに終わってしまい、最後に頼るのは体制そのものでしかなかった。人民大会堂での表彰総会に、トップ演説の出だしの言葉が耳に残り、ゆっくり味わえば味わうほど納得感が沸いてくるものだった。「オリンピック大会の成功はまず体制の勝利だ」と。
さて冷静になってその凄みの中身を見てみると、凡そ次のようであろう。
1、計画なしでも、或は計画の正確性一貫性を頼らなくても目標達成できる。
2、マンパワー、或は数のパワーを限りなく動員できる。
計画には当然、施設のハード面、ソフト面、財政面等、運営に必要な諸要素を全て含んでいることを意味する。マンパワーは歴史的伝統で、所謂「人海戦術」だ。何がどうなっているのか誰も把握できない状態は、恐らく他国では既に崩壊を意味するだろう、しかし中国は違う。そこが凄いのだ、しかも他人の追随を絶対許さない「特許」のような「お得意技」である。(紙一重の向こうには「お上」が自由にカネを操作出来るということだろう?)
さて結果主義を重んじる西側では、そのことをどう見ているのか。それはプロセスの中身をタッチしない限りでは、恐らく誰もノーと言えないことだろう。「内政干渉」だの何だの、政治リスクを冒してまで物言いをする国際○○会の「ポリティション」達が、そこまで頭の回らない人がいる筈もなかった。考えに考えた挙句、「エクセプションナル」という曖昧な判定を下したのであった。さすがだと、我輩は脳みそ三倍くれても出来ない「名案・妙案」であった。それが上の「体制の勝利」とうまく繋げたのだった。
行き当たりばったりの渦の中にも五年(石の上より長いが)、収穫は人脈と何だろうか。体制と言うほどの「長もの」がない以上、これからも気を長くして「巻かれろ」というより他はあるまい。
尚、本(愚痴)編の予告編をご覧になりたい方はこちらへ:http://blog.hjenglish.com/sayen/articles/1139817.html
posted on 2008-10-22 19:33
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心情日记