これは私の書いた論文なんです、間違ったところがあったら、皆さんご指摘してください。これも私の初発表したBLOG文章ですが、先輩の皆さんも宜しくです!
武士道雑談
『武士道』と言う単語は始めに使われた時は確か1603年だった、これはひとつ日本の精神を示すものなんです。この精神の影響で、武士さんたちは自分の主人のことを必ず守る、必ず衷心すると言う信念を持ちます。武士さんともなると、自分の感情を隠さなきゃならないのですが、でも隠すわけにはいかない感情は一つだけ、それは残酷というものです。これはもともと武士道の欠点として存在しています。あなたが残酷を表した時、相手も同じように死を怖がらなくなる、二人とも同じ心理を持って、そうすると武士道精神は何も意味がなくなる。
武士道というものは一体なんですか?この文章はこれを巡って、展開します。さあ、始めましょう!
腹切りを夢中になる 本質は残酷
公元7世紀 大化改新とともに日本社会は武力で土や政権を奪い合う情勢は激しくなった。その背景で武士階層は生まれました。11世紀の末、日本の封建領主源義家族は陸奥守を担当した時、内乱を収めたことは一回あります。この事件を切っ掛けに源義は自分を目上の朝廷に推薦したが、返事をくれなかった。そのせいで源義家族は勝てに官職を決めました。でもこの挙動は当時のひとびとの心を攫った、他の武士たちはこの噂を聞いて源義のところへ集めて来ました。と言うことで、日本の武士階層は結び付けました。数百年をたって、階層中の思惟、道徳、規範はだんだん今の武士道精神に変えて来ました。
12世紀の末、鎌倉幕府創立した。その時、武士道は相変わらず人殺しを目的にする戦争の観念でした。でも死は美化され、腹切りは「光栄の解放」と見なされた。あの時、武士達は腹切りをあんまり夢中になり、結局自殺する時の体位、方法まで区別が付かれました。
もっと残酷なのは数十人また数百人からあるの武士さんがみんな揃って腹を切っちゃった。実は武士と言う人、自分の腹を切って自殺して、その目的は社会の利益に強要され、自分の犠牲で子孫たちの武家社会の地位と交換した。
江戸時代の直前、武士の役目は軍役を中心として、戦場で手柄を立てること。江戸時代に至って、その200年間、日本武士の役目は政務に変えた。武士道の基本的な内容は忠誠、武勇、名誉、服従、儀礼等に転換された。もちろん、このすべて、武家政治と主従関係を強化していた。その中で忠誠は武士の魂とも言えます。
『忠誠』と言う武士道精神は武士たちの死亡観念と繋がっている。これは武士道の真髄であり、つまり武士たちの悔いしない、迷いしない死亡観念を表している。武士道の述べた色んな行為は本質で見れば残酷きまわりないである。
明治維新以降、武士道は未だ封建制度と一緒に歴史の舞台から降りませんが、その反対、古いもののよさを新しいものに生かしつつある。そして武士道はだんだん近代的の天皇制武士道と現代的の軍国主義ファシズム的な武士道に進展変化しに来ますし、対外の侵略拡張の精神ツールになりました。
侵略拡張の精神ツール
19世紀末の日清戦争 日本の軍隊は横暴に大虐殺を行う。旅順大虐殺と言う惨劇を起こりました。同じように20世紀の前半 日本は侵華戦争を発動し、世界にびっくりさせた南京大虐殺を製造しちゃた。西欧諸国一致には日本を野蛮な国と見なした。日本軍隊の残酷な行為を解釈するために、1899年 新渡戸稻造と言う人は英語で自分で書いた本『武士道』を発表した。
新渡戸稻造は若いごろアメリカのホプキンス大学で留学した。卒業の後でアメリカ人マリと結婚した。妻マリのヘルプで英語版の『武士道』を発表した。中は日本の伝統を欧米と比べて、それによって、日本の武士道と欧米のナイト精神の類似を詳しく述べた。日本の腹きり、復讐など決して野蛮ではないと弁解しました。でも、優しい英語を持って、『武士道』は欧米の知識層でよく売ってる、新渡戸稻造は自ずから日本精神と倫理学の権威になりました。1905年以降、新渡戸稻造は日本の海外戦争を武士道精神で包装することが従事しました。そのせいで、明治天皇に重視され、とんとん拍子に出世していた。1920年からの余程7年、新渡戸稻造は国際連盟の副秘書長を担当しました。この7年間、彼は日本を世界中で宣伝し、積極的に日本の殖民統治を応援している。帰国後、新渡戸はまた貴族院の議員を担当する一方で、九·一八事変の時、日本の軍隊を中国の東北地方に出動させたことは強引に弁解し、そして日本の侵略戦争は正しいだと強調していた。ある角度で見れば、新渡戸稻造あっての武士道だが、この武士道は侵略拡張の精神ツールになってしまった。
褒められるべきの武士道
単に欠点しか見えなければ、武士道は日本の伝統と言えません。だから、武士道の褒められるべきのところを発見さなきゃならないのです。
いつまでも話題になる靖国神社参り事件という実例をとって見よう。中国人の目から見て、靖国神社の参りは決して許さない行為だったが、日本人にとって、神社は国のために死んだ戦士の魂を集めている場所なんです、彼らの死は武士道精神の表しとも言える。だから、日本の最高リータとしての小泉の靖国神社参りは戦死の戦士たちへの肯定の上で、民族の団結に利する、日本のために犠牲するのは無上のプライドということは日本人に信じらせた。
統計数字によると、半数以上の日本人は小泉の行為を支持している。もちろん私は中国人として反対します!でも実は、これは日本全民族の願いなんです、引いては日本の生死にかかります。そうしないと一体誰か日本のために命をかけるまで戦うの?日本の軍人にとって、死の後そういう待遇に会えば結構十分です。こう見ればこの事件は一概に否定してはいけないだろう。
武士は戦って死ぬのを誇っている、それにひきがえ、降伏は最大の侮辱と見なしている。降伏したくないで死を選ぶのは武士の価値である。武士は必死に自分の国、自分の民族を守ることは愛国精神である。
この間「The last samurai」という映画を見た。これはアメリカが撮影した日本武士に関する、明治維新時期武士制度を廃止される前に最後一部分の日本武士の物語なんです。彼らは自分の武士身分を愛して、武士の格好を諦めたくない、最後まで自分の命をかけて、天皇に自分の生き甲斐を肯定されたいです。でも時代は変わられない、刀は銃に変えた、武士の象徴がなくなった。これはとても悲しい作品なんです。先生に推薦します。アメリカ人は武士道精神に対するの尊敬は映画のせいで感じました。映画の最後天皇は武士の死にとても悲しいです、そしてアメリカとの提携項目をキャンセルした。天皇はこういった:日本の発展は銃、大砲、鉄道が必要なんですけど、われわれの伝統を忘れるわけにはいかん、だから死んだ侍さんのことは永遠に覚えときなさい!
最後の言葉
武士道は日本の誇りといい、戦争の精神ツールといい、日本の象徴として特別な存在です。この存在は自分なりの意味を持っています。我々中国人として、客観的な観点で武士道を分析すべきだと思います。この文章は自分の観点しか述べませんでしたが、もし間違ったところがあったら、申し訳ありませんでした。
posted on 2006-12-14 16:35
天--蓝染 阅读(666)
评论(1) 编辑 收藏