いつの間にか、鏡に映っている自分の顔に皺が寄ってきました。
自分で言うと何ですが、私の顔かたちは若く見えるほうです。大学にいる時よく高校生と間違えられました。私って、まだ若いんだ。ちょっと自慢していました。
しかし、20代になると、若くいるつもりでしたが、やはり年は争えない。鏡を見て、「もう若くないよなぁ」と、ついため息をつきました。女性が20代に入ると、だんだん老けていくとよく言われます。女の子は20代に入る前に、スキンケアなど全然しなくても、肌が白くて滑らかでしょう。それを頼りにして、前の自分はずっと素顔でいられました。でも、今、どんな化粧品を使っても、元に戻れない。これからも皺も雀斑も容赦なく出てくるでしょう。
小野小町の歌:
花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながせしまに(『古今和歌集』巻二)(注①)
正に今の私の心中。桜の花のような容貌を持っていないけれど、美人でもないこれど、小町の歌に共感しました。その絶世の美女も去っていく美貌のため、嘆きに沈んでいたのです。どんな美しい人にも、老ける日がいつか訪れてくる。いや、美しい人であるからこそ、老ける日の訪れることが一層はっきりと感じられるでしょう。だから、美女にとって、老けることが余計に辛く覚えるに違いない。鏡は相変わらず曇がないが、曇っているのは自分の顔。昔の美しさと今の衰えている姿の対比がどんなに残酷なことでしょう。
『徒然草』の第七段の一部分:
命長ければ、辱多し。長くとも四十にたらぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。(注②)
確かにそうですよね。年を取るにつれて、恥ずかしいことが多くなってきます。南斉銭塘の名妓・蘇小小のことを思い出されました。その顔も芸も上々である娘が花柳の巷の育ちであるながら、誇り高く、決して世俗に流されたくなかったのです。非常に潔癖な性質をもって、一生をかけて、「身が自由、心が純真無垢」というのは彼女の信条を全うした。蘇小小は19歳の若さで病死しました。死の直前、世の中は彼女の儚い命を嘆き悲しんでいる時、彼女はそう言った。
「死が私の19歳の時訪れてくるのは、天が私に下さる最大な寵愛である。」
若いうちに死ぬことによって、世に自分の最も美しいイメージを残すことができると、彼女は思っていたのでしょう。それも彼女が歳月に対する一種の抵抗かもしれない。
注釈:
①現代語訳一:桜の花の色は、すっかり褪せ衰えてしまったことだ。わが身を虚しく世に過ごして、あれこれの物思いに沈み、長雨の降り続く日々を過ごしているうちに。
現代語訳二:桜の色は、儚く褪せてしまったことだ。雨が長く降り続いている間に。そして、私の容色もむなしく衰えてしまったことだ。むなしい恋の思いに明け暮れて、ぼんやり物思いに耽っている間に。
掛詞・倒置法などの技巧に注意したい。
②現代語訳:「長生きをすれば、恥ずかしい思いをすることが多い」(と古人もいっている。)長くても、四十歳に満たない死ぬようなのが、実に無難であろう。
★貞操を守らないで、「美」しか守っていた蘇小小は耽美主義者と言われます。彼女のことを書いた詩詞や文章が少なくないです。遊び女である彼女は、既に中国文人の心の中で、美・善・汚されない神聖の化身となったのです。
蘇小小の画像:
小野小町の画像