悲喜こもごも届く北京五輪のニュースの中で、それは悲を超えて「泣」に近い衝撃だった。野口みずき選手(30)の欠場である。4年ごとの舞台に合わせ、ぎりぎりまで筋肉をいじめてくる一流ランナーの厳しさを思う。
在悲喜交加的北京奥运新闻中,野口选手(30岁)的缺席是一个悲痛、几欲令人流泪的冲击性新闻。为了这四年一度的舞台,这位一流的长跑选手,其身体承受了极限的残酷训练。
北京の切符を手にした昨秋の東京国際女子マラソンを間近で見た。手を横に振り、弾むような大股で地をける。小遣い銭を握りしめ、菓子屋に急ぐ子どもに例えては失礼だろうか。小さな体が走る喜びを発散していた。
在去年秋天的东京国际女子马拉松大赛上,野口选手获得北京奥运入场资格的场景是历历在目。她挥动着双手,极有弹性地大踏步跃进。将她比作手握零钱,急冲冲地跑向点心铺的孩子未免有些失礼了。但她小小的身躯却散发着奔跑的喜悦。
女子マラソンの系譜を顧みれば、有森裕子さんには禁欲的な美しさ、高橋尚子さんには精密機械のすごみがあった。野口さんには、荒野で鍛え抜いた脚力を感じる。跳んで弾んで「鳥の巣」へと独走する絵を見たかった。じっくり養生してほしい。
回顾(日本)马拉松选手资料,有森裕子蕴含禁欲之美,高桥尚子拥有精密机械般的惊人之处。野口则令我们感受到她在荒野中锻炼出来的强健脚力。真想看她跳着、跃着独自奔向 “鸟巢”的画面。但还是希望她能够好好调养身体。
(敏感话题,此段略去)
対照的に、野口さんの決断は「実」そのものだ。「今も走りたい、走ろうという思いは消えることはありません」。しかし、ここで無理すれば選手生命が危うい。肉体を苦使する仕事の、残酷なまでの正直さである。
与此相对,野口的决定则是“现实”的。“我至今仍想参赛,我想奔跑的念头是不会改变的”。但如果勉强而为之,将危及选手职业生涯。这种过度透支身体的工作可谓是残酷的现实。
北京では連日、研ぎ澄ました肉体と精神が正直にぶつかり合っている。北島康介選手の金も、谷亮子選手の銅も、あらゆる「虚」を排した実力勝負の結果だ。だから勝者は輝き、敗者もまた美しい。
北京,近日来持续上演着运动员们久经历练的肉体与精神的正面交锋。北岛康介选手的金牌也好,谷亮子选手的铜牌也罢,均是排除“虚假”,以实力博取胜负的结果。因而胜者辉煌,败者亦美。
posted @ 2008-08-14 16:24
tinmei 阅读(214)
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