「私にとって『紙屋悦子の青春』は、あの時代を生きた若者たちに捧(ささ)げるレクイエムでもあります——」。映画監督・黒木和雄さんは、最新作のパンフレットに、そう書いた。
レクイエム[2]〔ラ requiem=神に死者の霊を迎え入れることを願うミサ曲の冒頭の言葉で、「平安」の意〕 カトリックの死者に対するミサ曲。鎮魂曲。
“对我而言,《纸店悦子的青春》,可谓是献给生活在那个时代年轻人的安魂曲”。电影导演·黑木和雄先生,在最新作品的宣传手册上,这样写到。
8月の公開に向けて、試写会やパンフの印刷が進んでいた。そのさなかに脳こうそくで倒れ、75歳で急逝した。少年時代の空襲体験に基づく「美しい夏キリシマ」や、原爆投下後の広島を舞台にした井上ひさしさんの戯曲による「父と暮せば」などを監督、「あの時代」を庶民の目線で描き続けた。
ししゃ【試写】映画を公開する前に、特定の人に見せるために映写すること。
为迎接8月份的公映,试映式及小册子印刷都一直在进行着。而在那个当口,黑木先生由于脑梗塞倒下,突然去世,享年75岁。他导演了以少年时代的空袭体验为蓝本的《美丽的夏之雾岛》,并将井上寿以原子弹爆炸下的广岛为背景所创作的戏曲改编为电影《如果与父亲生活》,不断地以平民的视野描绘“那个时代”。
松田正隆さんの戯曲を映画化した「紙屋悦子の青春」は、昭和20年の鹿児島を舞台に、特攻で出撃する青年と、その友や知人の娘との交流を描く。タイトルを掲げる冒頭と最後を除いて、音楽が入っていない。
とっこう【特攻】トクコウ[0]
〔←特別攻撃(隊)〕〔太平洋戦争の末期に日本の陸海軍が頽勢タイセイ挽回バンカイのために取った攻撃法。若い軍人が、自分の乗った航空機・魚雷ごと突入して敵艦を撃沈させようとした意〕特別の目的のために無理を承知の上で成算の無い行動に移ること。
根据松田正隆先生的戏曲改编成电影的《纸店悦子的青春》,是以昭和20年的鹿儿岛为舞台,描绘了因敢死任务而出击的青年,与他的朋友及熟人女儿往来的故事。除了最初的标题及影片的结尾,其余部分都没有插入音乐。
現実の世界では、映画のように演出として音楽が流れることはあまりない。音楽を入れないことで、感傷に流れるのを押しとどめようとしたのではないか。映画では、その人々の日常が「時代」によってつくられ、また壊されてゆくさまが淡々とつづられる。
在现实世界中,很少有像影片那样伴有音乐的。不添加音乐,不正是为了阻止了人肆意释放的伤感情怀么。影片,淡淡得描绘了 片中由“时代”所创造的人们的日常生活,同样是为止所消亡的情景。
やがて友と娘は結ばれ、共に老いたある日、夕闇の迫る中でこんな会話をする。「今日の続きのあるとですか」と妻が言う。「うん……ずっと続くったい。いつまででん」。今日の続きが「ある」と言えなかった人たちへの鎮魂のように聞こえる。
不久,朋友和熟人的女儿结为夫妇,他们一同老去。在某个夜幕降临的时候,他们曾有过这样的对话。妻子说到“今天还能继续下去吗”“嗯……我希望一直延续下去。永远继续下去。”这话仿佛是在安抚那已经无法开口说“能够延续下去”的朋友的亡灵。
黒木さんには一度お会いしたが、静かなたたずまいの中に、生と死の深い淵(ふち)からもの見るような面ざしがあった。作品は、「あの時代」を二度と繰り返さないようにという願いであり、伝言なのだろう。
笔者曾见过一次黑木先生。他那宁静的样子,仿佛让人看见了生与死那无法探求的深渊。作品,似乎是在传递着一种信息,祈愿那样的时代再不要重演吧。
posted @ 2006-04-18 16:56
tinmei 阅读(709)
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