「やれやれ、またドイツか」と思う主人公を乗せ、ジャンボ機はハンブルク空港に降りる。機内に小さく流れる音楽。「それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの『ノルウェイの森』だった」
“
啊!又到德国了吗?”陷入这样的沉思中的主人公所乘坐的大型客机降落在了汉堡机场。
机内轻声播放着音乐。“这不知是哪里的管弦乐队演奏的披头士的《挪威的森林》”
この場面から始まる長編小説を村上春樹さんが出して、20年になる。作品名となったその曲は、針葉樹が香るメロディーの中にも東洋を感じさせる。インドの民族楽器、シタールが使われているせいだろう。
以这个场面作为开场白的村上春树的长篇小说出版至今已
20
年了。作为小说名的这首曲子,让人在散发着针叶树的清香的旋律中也能感受到东方的气息。可能是因为使用了印度的民族乐器——锡塔尔琴的缘故吧。
もちろん、民族楽器はノルウェーにもある。母国に根づいた楽器や民謡をこよなく愛し、旋律や和声に採り入れたのが19世紀後半の作曲家、グリーグだ。明日が没後100年にあたる。
当然,民族乐器挪威也有。对植根于祖国的乐器,民谣无比热爱,并将其应用到旋律,和声中的
19
世纪后半期的作曲家格里格,明天就是他逝世
100
周年纪念日了。
ハルダンゲルバイオリンという楽器がある。4本の弦の下に細い共鳴弦が張られ、バグパイプのように厚く重なった音が出る。日本で一人だけのプロ演奏家、山瀬理桜(りお)さんは「ノルウェー土着の音は、グリーグを通じてクラシック音楽全体に影響を与えています」と教えてくれた。
有一种叫做ハルダンゲルバイオリン的乐器。四根弦的下面有一根细细的共鸣弦,能发出像风笛一样厚重的声音。在日本唯一的演奏家山濑理桜教导我们:“挪威的土著音乐,通过格里格给所有的古典音乐带来了深远的影响。”
代表作ペール
・
ギュント組曲の「朝」は、この楽器の共鳴弦を、高音から順につま弾いた旋律で始まる。イプセンの戯曲にグリーグが音楽をつけ、後にムンクが劇場ポスターを描いたと聞けば、この国の文化の集大成のようでもある。
格里格的代表作培尔・金特组曲中的《清晨》,就是用这种乐器的共鸣弦弹奏高音的旋律开始的。易卜生的戏曲,格里格的配音,后来又由蒙克绘制的剧场海报,似乎构成了这个国家文化精髓的集成。
民族音楽に楽譜はなく、耳から耳へ伝承されるという。だから奥行きと味わいがある。「人生は民族音楽に似ている。それが短調なのか長調なのか、誰にも分からない」。ノルウェー王国の公式サイトが掲げるグリーグの名言だ。北国の「文化の森」は深い。
民族音乐没有乐谱,听说是靠耳朵传承下来的。所以有更深层的韵味。“人生正如民族音乐,是短调还是长调,谁也不清楚。”这是写在挪威王国官方网站上的格里格的名言。北国的《文化的森林》浓厚深远。
posted @ 2007-09-06 09:20
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南シナ海のスプラトリー(南沙)諸島は、中国やベトナムなどが領有を主張して、紛争の海と呼ばれてきた。中国がこだわるのは、ここで高級食材の「ツバメの巣」がとれるからだと聞いたことがある。
隶属南海的南沙群岛,中国,越南等国一直在争夺它的领土权,素有纷争之海之称。曾听闻中国争夺它的原因,是因为岛上盛产高级食品“燕窝”。
真偽のほどは知らない。だが、海底資源より珍味が大事と、もっともらしく語られるのは、かの国の「食」への情熱のゆえだろう。足が4本のものは机以外、飛ぶものは飛行機以外なんでも食べる。そんな冗談もある中国でいま、日本産のナマコが大人気らしい。
是真是假不得而知。但是,比起海底资源更注重珍馐美味的事被如此煞有介事的拿来谈论,可能是因为该国对于“吃”的热情吧。四只脚的除了桌子,天上飞的除了飞机没什么不吃的。现在,日本产的海参似乎正风靡有这样谑词的中国。
たとえば、北京にある名店では、たっぷりのネギと香味野菜でナマコを煮込んだ料理が評判だ。中国通の同僚によれば、ナマコは客が自分で見て選ぶ。産地、等級別にずらりと並んでいて、最高級に日本からの輸入ものが鎮座している。それを、富裕層がこぞって指名する。
比如在北京有名的酒店里面,用很多葱,香菜炖海参就是一道名菜。据中国通的同事说,海参是由客人自己看着挑选的。根据产地,级别分类摆开,最高级别的就是日本进口的海参。有钱人一致指名点它。
精がついて美容にもいいから、姿かたちは不気味でも値段は跳ねる。乾燥ものの日本からの輸出価格は、ここ5年で5倍ほどに高騰したらしい。うまい儲(もう)けに密漁船も暗躍する。生態がよく分からないため、取り尽くす心配も出てきているようだ。
因为海参有提神养颜的功效,所以即使它形貌可怖价格却是一路飞涨。从日本进口的海参干货的价格在这五年间似乎高涨了5倍之多。因为利润可观,所以一些秘密渔船也在暗中活跃。由此似乎也引出了(这些渔民)不懂生态平衡,会让海参绝迹的担心。
〈何の故に恐縮したる生海鼠(なまこ)哉(かな)〉と漱石は、寡黙でつましい生き物を詠んだ。日本では料理でも地味な脇役だ。せいぜい酢ナマコか、このわたか。大陸へ渡ってひと花咲かせたような人気ぶりは、こちらのファンには少し寂しくもあろう。
漱石曾这样咏诵这种寡黙而朴素的生物“不知何故总惧怕海参”。在日本即使是作料理,海参也只是普通的配料。充其量有个醋溜海参啦,海参肠什么的。相比在中国风光无限的样子,日本的情况略嫌冷清了些吧。
旬は冬。「きわめて冷潔、淡美。肴品中の最も佳(よ)いもの」と江戸の『本朝食鑑』も讃(たた)える。少しナマコを見直して、食わず嫌いを改めるもよし。
十月入冬。江户的《本朝食鑑》中也赞颂海参“极其清淡美味,为肴品中的极品。”适当改变一下对海参的看法,改变偏见也
未尝不是好事
。
posted @ 2007-08-30 17:13
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凜烈(りんれつ)な作風で知られた小説家立原正秋が、筆名について書いていた。ほとんどの郵便はペンネームで来るが、まれに本名で届くものがある。本名をしげしげと眺め、「これは一体誰なのか」と妙な気分になる。そんな内容だったと記憶する。
素以凌厉作风而闻名的小说家立原正秋,一直用笔名在写作。大部分的邮件上写的也是笔名,但偶尔也收到写着真名的邮件。凝视着真名,会一时浮现出“这到底是谁呀?”的奇怪感觉。记忆中曾碰到过这样的事。
似た気分を、モンゴル人のドルゴルスレン・ダグワドルジも味わっているのかもしれない。「朝青龍」なるしこ名を眺め、「これは一体誰なのか」と。謹慎の様子はうかがい知れない。だが日を重ねるほど、彼の心の中で、本名の嵩(かさ)が増しているように思われる。
蒙古人ドルゴルスレン・ダグワドルジ似乎也在体会着相似的感受。端详着“朝青龙”这个别名,心中也会犯疑,“这究竟是谁?”很难体察到他那份谨慎。但是随着岁月流逝,人们可以感受到在他心中,本名的分量正与日俱增。
きびしい状況への配慮だろう。日本相撲協会は横綱の帰国を認めた。早ければ今日にも発(た)つ。帰ったきり、二度と「朝青龍」には戻らない可能性も、なくはないらしい。ここまでこじれた責任の一端は、丁寧な意思疎通を欠いた師匠と協会にもあろう。
可能是出于对紧张局面的考虑吧,日本相扑协会同意了冠军ドルゴルスレン・ダグワドルジ的回国申请。早的话应该今天出发。回国后,也有可能再也不回日本了
(
不再成为“朝青龙”了)
。搞到如此僵持的局面,教练和协会都有责任,之前没有诚恳的好好的沟通。
この世界で師匠といえば、実の親も同然と聞く。横綱審議会委員だった作家の舟橋聖一が、双葉山父子を回想している。双葉山は幼い時、友達の吹き矢が当たって右の目を失明した。父親は、だれが矢を吹いたのか知っていながら、死ぬまで口を閉ざし続けたという。
听说过这样一句话:一日为师,终生为父。曾为相扑冠军审议会委员的作家舟桥圣一回想起双叶山父子。双叶山年幼时,被朋友的吹箭射中而导致右眼失明了,父亲明明知道是谁吹的箭,但至死都没有告诉双叶山。
恨まれる者より、恨む本人にとってどれだけマイナスになるか。分別を踏まえた深い愛情のゆえだった、と作家は書いている(『片目の横綱双葉山』)。
因为父亲知道,比起被恨的人,怀有仇恨的人本身多少也会不利。正是基于这种不同寻常的爱(所以没有告诉自己的儿子)。作家这样写道。《独目冠军双叶山》。
この父親にして、品高き名力士ありだろう。双葉山も隻眼のハンディを秘したまま、無敵の相撲を取り続けた。鑑(かがみ)もあれば不出来な親子もあるとは知りつつ、騒動の口直しに紹介してみたくなった。
正是这样的父亲,才培养出了这么有名的大力士吧。双叶山隐藏了双眼的缺陷,连续获得相扑比赛的胜利。我们知道即使有前车之鉴也有可能教出不肖之子,所以想借这个故事以平息此次的骚动(指相扑协会和朝青龙之间的矛盾)。
posted @ 2007-08-29 17:32
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「その金額は、身に覚えがありません」。もしも、事務所というものに口があったとしたら、少しとがらせて、こんなふうにでも言うのだろうか。松岡農林水産相の資金管理団体の事務所を巡る光熱水費の謎は、そんな空想を誘う。
“那笔资金,我根本没用过”若事务所自己有嘴,多少会带点埋怨的语气这么说吧。围绕农林水产部长松岗的资金管理团体事务所的水电,燃气费之谜,笔者产生了这样的幻想。
議員会館にある事務所の光熱水費は、もともと無料だという。従って、政治資金収支報告書に事務所の光熱水費として計上された5年分の約2880万円は、「事務所くん」には本来なら覚えのないものだろう。それともこの事務所には、無料の対象から外れるような特別に高価な仕掛けでもあるのだろうか。
听说位于议员会馆的事务所的水电,燃气费原本是免费的。但是,在政治资金收支报告书中事务所的水电,燃气费的开支项目
5
年来大约共计有
2880
万日元。是“事务所先生”本来就是没有记性吧,要么就是这间事务所有从免费的对象上作出高额假帐的窃门呢?
空想のついでに、イソップ物語の「木こりと斧(おの)」の話に飛んでみよう。木こりが誤って斧を川に流してしまう。現れた神が金の斧を手に「お前のか」と聞く。正直者の木こりは違うと答え、次に神が示す銀の斧でもないと言う。最後に本人の斧を出すとうなずいたので、神は三つとも、木こりに与えた。
对于这个幻想,突然想起了伊索寓言中《樵夫和斧头》的故事。樵夫不小心将斧头掉到河里了,现身的神仙拿一把金斧头问樵夫说:“这是你的吗?”正直的樵夫回答说:“不是”。后来神仙拿出一把银斧头樵夫也说:“不是”。最后拿出他自己的那把斧头时他才点头,所以神仙把三把斧头都给了樵夫。
それを聞いた男が、わざと斧を流す。神が金の斧を示すと「それだ」と答え、自分の斧も没収されてしまう。
听说这件事的一名男子,故意把斧头丢到河里。神仙拿着金斧头问他时他连忙回答说“是”,最后他连自己那把斧头也被没收了。
松岡氏と同様に議員会館だけを事務所にする幾つかの議員のところでは、光熱水費は計上されていないという。「うちの事務所の水は、他のとは違って金の色」とでも言うのでは、「斧」を失うことになるだろう。
据说,和松岗一样只以议员会馆作事务所的几位议员在水电气费用上都没有记载。“我们事务所的水,和别人不一样,是金色的。”这样的话,也会失去“斧头”的吧。
松岡氏のホームページには「真実一路」が信条とある。北原白秋が「巡礼」でうたった。「真実一路ノ旅ナレド、/真実、鈴フリ、思ヒ出ス」。その立派な信条に沿って、鈴を振って思い出し、よく説明してみてはどうか。
松岗的个人主页上有一条“永保真诚”的信条。北原白秋曾用《巡礼》歌颂过它。“虽坚持真诚的人生之旅
/
亦要摇铃(提醒自己)时时想起真诚。”沿着这条崇高的信条,摇铃反思,好好说明一下如何?
posted @ 2007-03-09 14:53
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アメリカの山あいの町から3人の青年がベトナム戦争に送り出される。捕虜になり、辛くも脱走するが、心と体に負った傷は深かった。帰還兵らを主人公にしたマイケル・チミノ監督の「ディア・ハンター」は、人格を変える戦場の狂気を描いた秀作だ。
美国一个山村的三名青年被送到越南战争的战场上。后成为俘虏,虽然历经千辛万苦逃了出来,但身心都受到的剧烈的创伤。由迈克尔・西米诺执导的《dear hunter》是一部以返国兵为主人公,描写扭曲人格的战场的疯狂的优秀电影。
イラクの戦場に身を置き、傷を負って帰国した米兵の扱いの問題が浮上した。帰還兵らは米陸軍病院について「2年間、治療方針が示されなかった」「壁一面にカビの生えた外来用病室に住まわされた」などと訴えている。
仍置身伊拉克战场,以及负伤归国的美国士兵的处理问题已浮出水面。归国兵们控诉美国陆军医院“二年时间都没有拿出治疗方案来”“让我们住在一面墙壁已长霉的门诊病房”等等。
訴えの底には、戦場でどんな思いと体験をしたか分かってほしいという悲痛な願いが感じられる。イラクの市民の側の犠牲も含め、戦場の本当の悲惨は現場に居なければ分からないのかも知れない。
控诉的最终,可以感受到(他们)希望其它人明白他们在战场上经历了怎样的煎熬和体验的悲痛愿望。也包括伊拉克方面的平民的牺牲,也许未亲身体验就不能明白战场真正的悲惨。
米国の作家ヘミングウェイは、第一次世界大戦の戦場での砲撃で重傷を負い、後に「武器よさらば」を書いた。こんな一節がある。「戦争以上に悪いものは存在しません」「敗戦はもっと悪いぜ」……「敗戦がなんですか? 家へ帰れます」(谷口陸男訳・岩波文庫)。
美国作家海明威在第一次世界大战的战场上受到炮击而身受重伤。后来他写了《别了,武器》一书,其中有这样一节:“没有比战争更恶劣的了”“战败是更坏的呀。”“战败是什么?(就是)可以回家” (谷口陸男訳・岩波文庫)。
日本の政府・与党が、イラク復興支援特別措置法の期限を延長する方針だという。派遣を延長される側の身にもなって、よく考えているのだろうか。肌身で戦争を知らない大統領が始めた戦争を、戦場を知らない首相と、戦争を知らない世代の次の首相が手放しのようにして支持し、支援する。危ういことだ。
听说日本政府,执政党将延长伊拉克复兴支援措施法的期限。(他们)是否有设身处地地为那些被延长派遣时间的人考虑一下呢?不了解战场的首相和未经历过战争一代的次任首相无条件支持,援助这场由不解战争为何物的大统领发起的战争,是何其危险之事。
現在は、刻々と過去になり、歴史となる。大統領とふたりの首相には、書き直せない歴史を今つくっているという厳粛さに乏しい印象を受ける。
现在,(这场战争)在一点点成为过去,成为历史。大统领和两任首相造成的无法改写的历史,让人感觉缺乏活生生的严肃性
posted @ 2007-03-08 13:28
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強い春風の中、久しぶりに東京都心の愛宕山に登った。山とは言っても海抜26メートルというから、10階建てのビルくらいか。それでも江戸時代には、町並みや海を見渡す絶好の眺望の地として知られ、浮世絵に描かれた。
うきよ‐え【浮世絵】
__
江戸時代に発達した民衆的な風俗画の一様式。肉筆画も行われたが、特に版画において独自の美をひらいた。桃山時代から江戸初期に流行した肉筆の風俗画
・
美人画を母胎とし、
17
世紀後半(延宝~元禄)の菱川師宣によって版本挿絵として様式の基礎がつくられ、さらに
1765
年(明和
2
)には鈴木春信により多色刷版画(錦絵)が創始されて、黄金期を迎えた。その主題は遊里や芝居の情景、美女
・
役者
・
力士などの似顔絵を中心とし、歴史画や風景
・
花鳥に及ぶ。作家としては、ほかに、鳥居清信
・
西川祐信
・
鳥居清長
・
喜多川歌麿
・
東洲斎写楽
・
葛飾北斎
・
歌川広重などが名高く、
19
世紀後半からヨーロッパの美術へも影響を及ぼした。
强劲的春风中,登上了久违了的位于东京中心的爱岩山。虽说称之为山,但从海拔26米来看,差不多相当于10层高的一座建筑。即使如此,在江户时代,爱岩山就作为远眺街道和大海的绝佳之地而闻名,被绘于浮世画中。
明治期にも、地理学者の志賀重昂が『日本風景論』に眺めの良さを記した。「東京愛宕山に登りて四望す、なほかつ広遠の気象胸中より勃発(ぼつぱつ)するを覚ゆ」(岩波文庫)。今は白梅の咲く、その頂からの眺めは変わった。
明治时期,地理学者志贺重昂也在《日本风景论》中记载了这里的美丽风景。“登上东京爱岩山举目四眺,胸中骤然浮现出宏伟的景象,心中豁然开朗。”(岩波文库)。今日白梅绽放,从山顶眺望的景色已经不同往日了。
周りには数十階建てのビルが林立し、視界はさえぎられている。かなり以前からそうなってはいたが、これからの東京の姿を左右する都知事選を前に、そこで転変を顧みたいと思った。
四周数十层的高楼林立,视野被挡住了。虽然很久以前就是这样了,但是,在即将举行左右东京未来的都知事选举前夕,想在这里回顾一下这些年的变化。
「大体にいへば、今の東京はあまり住み心地のいいところではない」と芥川龍之介が書いたのは大正期だった。東京の変化は激しく「殊にこの頃出来るアメリカ式の大建築は、どこにあるのも見にくいもののみである」(『芥川龍之介全集』岩波書店)。
“大致说来,现在的东京已不是舒适的居住之地了”。芥川龙之介在大正时期曾这样写道。东京的变化急剧“特别是最近盖起来的美式大建筑,无论摆在哪里都只是碍眼的东西。”(《芥川龙之介全集》岩波书店)。
変容は更に続いた。車のために道を広げ、建物の軒を思うさま天に伸ばしてきた。国の人口減や、右肩上がりの時代の終焉(しゅうえん)も指摘される中、多くの街とつながる首都の未来を各陣営はどう描くのか。
城市的容貌还在更进一步的变化。因为车而拓宽了道路,建筑物尽情地直插入云霄。指出国家人口减少,甚至还提到了经济高速增长时代的终结,此时,各阵营是如何描绘连接多条大道的首都的未来的呢?
東京のかなり上空を飛んだ時、さしもの高層ビルも地面にへばりついているように見えた。富士山を背にした東京は浮世絵の時代に戻ったかのようで、この街を支え続けてきた大地や川、海、空の大きさを感じた。そうした自然と、どう手を携えるのか。知事選を、広い視野で東京を眺め、未来を選ぶ機会にしたい。
在东京的高空中飞过时,那些作为地标的高层建筑看起来也只是像紧粘在地面上一样。仿佛又回到了以富士山为背景的东京浮世画时期,感受到一直支撑着这座城市的大地,河流,大海及天空的辽阔。该如何携手那样的自然呢?希望知事选能成为以广阔的视野眺望东京,选择未来的一个机会。
posted @ 2007-03-07 11:36
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「アンネの日記」のアンネ・フランクの父親が第二次大戦の初期に書いた手紙が米国で見つかった。米への移住ビザの仲介を知人に頼んだ数通で、先ごろ公表された。
“アンネ的日记”的作者アンネ・フランク的父亲在第二次世界大战初期写的信在美国被发现了。前些日子向世人公开了他拜托友人帮忙办理移居美国的签证的几封信函。
移住の理由を、父は「2人の娘のために」とつづっている。だが結局ビザは得られず、一家はナチスに捕らえられ収容所に送られる。多感な日記をつづった次女アンネは、過酷な日々の果てに15歳で息をひきとった。
移居的理由,父亲称“是为了两个女儿”。然而最后签证没有到手,一家人被纳粹组织逮捕关进了监狱。记有多愁善感的日记的次女,在残酷的日子里最终在15岁时死去了。
手紙の公表の際、説明役の歴史学者は「(もしビザが出ていれば)アンネはいま、ボストンに住む77歳の女性であったかもしれない」と語ったそうだ。悲しい名を残さず、人が平凡に生きられる。その重みに思いを寄せた言葉だろう。
信函公开之际,担任说明工作的历史学家说过:“假如签证发下来了的话,アンネ现在可能是一名住在波士顿的77岁的女性了。”就不会给世人留下悲惨的身世,可以过着普通人的生活。这只是寄予深厚期望的话语吧。
思い起こすのは、同じ大戦初期にリトアニア領事代理だった杉原千畝(ちうね)のことだ。迫害におびえる多くのユダヤ人に、日本を経由して第三国へ抜けられるビザを出した。外務省はドイツとの関係に配慮して発給不可を指示したが、杉原はビザを出し続けた。
(说起这些)就想起同一大战初期任立陶宛领事代理的杉原千畝先生。他给担心受到迫害的大量犹太人签发经由日本可以逃往第三国家的签证。外务省因为考虑到和德国的关系而下达了“不准签发”的命令,但杉原仍继续发放签证。
その「命のビザ」の物語を、東京の劇団銅鑼(どら)は15年にわたり上演してきた。9年前のニューヨーク公演で「スギハラに救われた」という女性が名乗り出た。団員を郊外の自宅に招き、古びたビザを見せて、来し方を語った。
那个“救命签证”的故事被东京剧团铜锣上演了15年。9年前在纽约公演的时候,一名女子站出来说道“是杉原救了我的命”。(她)将剧团的成员们请到郊外自己的家,让他们看陈旧的签证,叙述起了住事。
ビザを受けたとき、アンネの享年と同じ15歳だった。姉と2人でシベリア鉄道を経て敦賀に着き、横浜から船で米に逃れたという。戦後に米国人と結婚し、5人の孫のいる静かな暮らしを送っていた。この人とアンネの運命は、入れ替わる可能性もあっただろう。名もない人生を築けることの幸せを思う。
得到签证的时候,和アンネ的享年相同正好是15岁。和姐姐二个人经过西伯利亚的铁道到达敦贺,再从横浜坐船逃到了美国。战后和美国人结了婚,有五个孙子女过着宁静安详的晚年。这个人和アンネ的命运,也有可能调换吧。相信这就是平淡生活的幸福。
posted @ 2007-02-25 11:29
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米テキサス州のクロフォードといえば、ブッシュ大統領が休暇を過ごす所として知られている。一昨年の夏、その地に赴き、道ばたで座り込みをしながら大統領に面会を求めたのがシンディ・シーハンさんだった。前年に、当時24歳だった息子のケーシーさんをイラク戦争で失った。
请翻译此段文字,沪元奖励!
座り込みの後、ニューヨークの集会で述べた。「もう二度と息子の声を聞くことはないのです……イラクに大量破壊兵器はなかった……何のために戦争をして、何のために息子たちは死ななければならなかったのでしょう」
静座示威后,她在纽约的集会上还说道:“再也听不到儿子的声音了……伊拉克并没有大规模破坏性武器……为什么会发动战争,为什么要让孩子们白白牺牲呢?”
イラク戦争が泥沼化する中、ブッシュ大統領が、兵の増派を柱とする新戦略を発表した。「過ちがあった点については、私に責任がある」と述べた。しかし増派は、シーハンさんのような母や父、妻子らを更に増やすことになりはしないか。
正当伊拉克战争陷入泥沼不能自拔之际,布什总统发表了新战略以增派兵力为主的言论。他说道:“关于过失之处,我有责任”。但是,增派兵力,不是会让如希汉女士这样的母亲或父亲,妻子儿女们越来越多吗?
大統領の過ちとは、大統領の言う送り込んだ兵の数ではないはずだ。国際社会の多様な声に耳を貸そうとせず、単独行動主義に傾いて先制攻撃をかけたことが、そもそもの過ちではなかったか。
大总统的过失,应该不是大总统所说的送往伊拉克的士兵的数量吧。丝毫不理会国际社会各种呼声,倾向于一意孤行发动先制攻击,这才是真正的过失吧。
イラクを攻撃して街や国を壊すことは、軍事の超大国にとって難しくはなかった。一方で、破壊による混沌(こんとん)から秩序をつくり出すことはできず、日々おびただしい命が失われ続けている。
攻击伊拉克损坏其街道和国家,对一个军事超级大国来说并不是难事。另一方面,却无法控制因战争导致的混乱局面,致使每天都有大量的人送命。
壊れた街ならば、つくりなおすのも不可能ではない。しかし、壊された命をつくりなおすことは誰にもできない。民族や国籍を超越した生命体を畏(おそ)れる姿勢が、この戦争でも問われている。その問いは、戦争を始めた国だけではなく、同盟諸国にも向けられている。
如果是破坏掉的街道,要修建也不是不可能。但是,要让人死而复生,却是谁也做不到的。是否对超越民族和国籍的生命的怀有敬畏,也是这场战争的质疑点。这个问题,不仅要问发起战争的国家,也要问问各同盟国。
posted @ 2007-01-13 11:34
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繁華街に買い物に出た時のことらしい。サザエさんの背中で、タラちゃんが大きくのけぞっている。傍らの店に立つペコちゃん人形の頭を揺らしたいと、駄々をこねている。
大约是到繁华商业街购物时的事情。海螺小姐背着小太郎,太郎使劲向后仰着,吵着闹着想要摇立于店旁的牛奶妹ペコちゃん人偶的头。
仕方無く、サザエさんは自分がペコちゃんのようになって、背中のタラちゃんに押されるがままに頭を揺らしている。本紙に1958年に掲載された「サザエさん」の一コマだ。
不得已,海螺小姐只得任由太郎把她当成ペコちゃん摇她自己的头。这是本报1958年刊登的《海螺小姐》中的一段情节。
[蠑螺太太 (サザエさん,讀作SAZAESAN )] 史上放送时间最长(1969年10月5日放送至今未完)和话数最长(现在应该有5700多话了)的动画。 日本最初的漫畫不是以單行本或雜誌連載的形式出現,而是刊登在報紙上,稱為「新聞漫畫」(新聞即報紙),而形式多以四格為主,內容主要是諷刺時弊、描繪庶民的悲歡等,深得廣大讀者的共鳴。新聞漫畫的代表作首推長谷川町子的《蠑螺太太》(SAZAESAN)。最初以四格漫畫的形式連載於1946年的福岡地方晚報「夕刊福日」,自戰後不久到一九七四年為止,這部作品也長期刊登在《朝日新聞》上,內容以以主婦蠑螺太太為中心,描寫磯野一家七口幽默開朗的生活,反映一般日本大眾的生活狀況。主角蠑螺太太的開朗、善良以及略為急躁的個性是受大眾歡迎的關鍵。報紙連載結束後,電視還將其拍成卡通影片播出。到了現在該作的動畫仍在日本富士電視台播放著,收市亦穩據高位。
洋菓子の不二家のシンボルとなったペコちゃんが「誕生」したのは、このマンガが載る8年前の50年だった。『不二家・五十年の歩み』によると、図柄は外国の雑誌の挿絵からヒントを得、人形の第一号は日劇の大道具係に頼んで作ってもらった。名前は、牛の愛称の「ベコ」をもじったという。
请翻译此段文字,沪元奖励!
きのう、東京の銀座店では、ペコちゃん人形の脇に社長の「おわび」を記した紙が張り出された。消費期限切れの牛乳でシュークリームを作っていたことが発覚した。当面、全国の約890の直営店やフランチャイズ店で、洋菓子の販売をやめるという。
昨天,东京银座店的ペコちゃん人偶旁边张贴着社长的道歉信。发现用过了期的牛乳做了奶油馅点心。听说目前已停止了全国约890家直销店及连锁店的西洋点心的出售。
不二家は100年近く前に横浜で創業し、居留する外国人を相手に洋菓子などを売っていた。やがて東京に進出し、大手の菓子メーカーになってゆく。ペコちゃんは戦後間もなくから、その軌跡を見続けてきた。
不二家大约是100年前创立于横浜,主要是向侨居于日本的外国人销售西洋点心。很快就向东京发展,逐渐成为大型的点心制造公司。ペコちゃん诞生于战后不久,所以也一直延续着那个理念。
「はじめからソロバンづくでは、製品はつくらない。ただ、よい製品さえつくれば、ソロバンの方は自然と合ってくれるものだ」。創業者の信念だという。よいお菓子は、うまいだけじゃなくて、安心して食べられなくては……。ペコちゃんも、そう思っているはずだ。
“如果刚开始就唯利是图的话,是做不好商品的。但是,只要做出了好的东西,自然就会财源滚滚。”听说这是创业者一直以来的信念。好的点心,不光光只是要好吃,如果不能让客人吃得安心的话……。ペコちゃん应该也是这么想的吧。
posted @ 2007-01-12 11:40
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