昭和天皇が皇太子の当時からゴルフに親しまれたことは知られている。皇居にはゴルフ場もあった。「もうしないから、手入れはやめるように」
众所周知,昭和天皇打从当皇太子时起就喜欢打高尔夫球。皇宫里也设有高尔夫球场。(但有一天,他突然说道:)“我再也不玩了,所以,球场以后不用修整了。”
そう命じたのは1937年(昭和12年)の7月7日、日中戦争の始まりとなる盧溝橋事件から数日後のことという。元侍従、故・入江相政(すけまさ)さんの回想録「いくたびの春」(TBSブリタニカ)には、「だから陛下のゴルフは十二年六月末が最後である」とある
据说,天皇做出这个指示是在1937年(昭和12年)7月7日、导致日中戦争爆发的盧溝橋事变之后数天。原侍从、已故的入江相政在回忆录《几度春》(TBS百科事典出版社出版)里,写有这样一句:“因此,陛下的最后一次高尔夫球是在昭和12年6月底。”
昭和天皇の戦時中の“肉声”を記録した日記が見つかった。開戦の前から終戦にかけて侍従をつとめた故・小倉庫次(くらじ)氏の書き残したものである
最近发现了纪录战争期间昭和天皇“原声”的日记。该日记由战争爆发前到战争结束期间担任侍从的已故的小倉庫次所写。
盧溝橋事件の5年後、1942年(昭和17年)12月11日の条には「支那事変(日中戦争)はやり度(た)くなかつた」と、苦渋と悔恨のにじんだ言葉が見える。「戦争はどこで止(や)めるかが大事なことだ」とも
盧溝橋事变之后第5年即1942年(昭和17年)12月11日的这一条日记里,写着:“本不想发动支那事変(日中戦争)”,言辞中充满苦涩与悔恨;日记还写道:“战争能在何时停止,这点至关重要。”
62年前のきょう、東京大空襲で約10万人が焼死した。始めてはならないのに始まり、やめねばならないのにやめられなかった戦争の、もたらしたものを見つめる日でもある
62年前的今天,約有10万人在東京大轰炸中被炸死。这一天,也是——我们应该审视这场不能发动却发动了,应该停止却没能停止的战争为我们带来什么——的日子。
手入れをやめたゴルフ場には、ホタルブクロなどの花が咲いた。入江さんによれば戦後を迎えても、昭和天皇のお心は野の草にとどまり、ゴルフの昔に戻ることはなかった。戦火とともに生まれた草花に、取り返しのつかぬ歳月を重ねておられたのかも知れない。
久失修整的高尔夫球场上,开出了紫斑风铃草等各色鲜花。据入江回忆,即使到了战后,昭和天皇的心情依旧,仍继续让球场保留着野草,并没有恢复到以往的状态。也许他是将无法挽回的岁月与战火共生的花草互为叠合的吧。
posted on 2007-04-30 19:48
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