ある日のこと。パーティーでウサギが酒を飲んでいた。スタイルも身だしなみも、頭の回転も悪くない。プレイボーイを絵に描いたようなウサギだった。巧みな冗談を喋り、あたりの女性たちをひきつけていた。
その時、ひとりの女が、いじの悪いことを言った。「でも、あなた、競走じゃ亀に勝てないんでしょ。」
これが、そもそもの悲劇のはじまり。この言葉は、ウサギのデリケートな心をさりと刺した。たまたま、そばに亀がいたのもいけなかった。亀は、面白くもおかしくもない顔と、鈍重そうな手つきで飲んでいた。こんなやつと比較されるだけでも不愉快なのに、劣るなどと言われては前後を失う。
ウサギは亀の前に立ち、興奮のふるえ声で言った。「侮辱されて、だまっているわけにはいかぬ。競走だ。どちらが早いか正々堂々と勝負しよう」
どことなく論理がおかしいが、気の立っている時にはよくあることだ。
「いいでしょう。では、あすにでも・・・・・・”
亀は、ぼそぼそした口調で答えた。自信ありげな口ぶりともとれる。会話を耳にに、近くにいたアニマル・トリビューン紙の記者はうれしそうな声をあげた。“それはいい。画期的だ。なぜ、だれも今まで、この企画を考えなかったのだろう。立会人に、なってあげましょう。そのかわり、記事の独占権をください」
これも妙な発言だったが、周囲の歓声のなかでは、気にする者などいなかった。
さて、翌日。
両者は出発点に集まった。前夜たんねんに風呂で洗いあげたため、ウサギの毛は純白に輝く。耳につけた深紅のリボンはあざやか。からだじゅうの筋肉は鋼鉄のバネのごとく、すべてがリズムにみちていた。
亀のほうは、とくに描写するほどのことはない。のそのそと動いているだけだ。やがて立会人が告げた。「私の合図で出発する。
決勝点は、むこうの丘の上。そこに友人のカメラマンが待っていて、勝負を判定してくれる。さあ・・・・・・」
スタートお号砲が響き、レースは開始された。ウサギの走り方は、まさに一級の芸術品。風を切ってというより、自己が一陣の風と化し、大気のなかを流れ去った。観客に与えるその効果を、ウサギは自分でも意識していた。その美しいスタイルとペースを乱すことなく走りつづけ、丘の上へと到達した。得意と謙虚さのみごとに調和した、ゴールインの姿勢をしばらくとりつづける。もう写真はとりおえたろうと、あたりを見回したが、だれもいない。
スタイルのほうに気をとられ、ウサギは丘を間違えたのだ。まさか出発点の目の前にある丘とは知らず、はるかかなたまで来てしまった。これはいかん。いったい、決勝点はどこの丘なだろうか。しかし、近くには聞く相手もない。
posted on 2007-09-12 12:05
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